十 五 夜

登場人物/吉沢・凪子ママ
閉店後 店のカウンター
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「お願いよ! 秋ちゃん! この通り!」

「お願いされても困る 無理なものは無理だ 申し訳ないが」
「そんなこと言わないで 会うだけでいいのよ? 
 ね? 会って一日デートしてくれたら それでいいの!」
「あのな ママ 俺をいくつだと思ってるんだ?
 こんなオッサンをあんたの姪にあてがったって 駄目に決まってる 姪が可哀相だろう」
「大丈夫! 姪は老け専だから」
「それはそれで傷つくな」
「とにかく うちの姪は奥手でね 男とデートのひとつもしたことないのよ」
「まさか姪だと言っておきながら あんたの中学生の娘じゃないだろうな?
 だがあの子なら面白いから 子守という名目なら 引き受けてもいいけどな」
「やだわ ロリコンじゃないでしょうね秋ちゃん 私の娘じゃないわよ 姪よ 姪!」
「いくつなんだ その姪は」
「三十」

「…デートのひとつすればいいって 歳でもなさそうだがな」
「そうなのよ いつの間にか小さな可愛い姪も いい歳になっちゃって
 なのに彼氏もできない 本人は男が苦手だって言うし 困ってるの
 でも見た目より若く見えるのよ?」
「若く見える ね 女は若いことがそんなに武器だと思ってるのか?
 本人が男が苦手というなら 無理強いしたって仕方ないだろう」
「でも男が苦手ってだけで 女が好きってわけでもないのよ」
「確かに異性が苦手だからってゲイとは限らんな 結婚は勧めたのか 見合いとか」
「もちろん でも見合いは絶対嫌だっていうの」
「ふうん 痛い目にでもあったかな」
「そんなこと無いと思うんだけどねぇ とにかく男とつきあったことが無いんだと思うの
 食わず嫌いなのよ あの子 引っ込み思案だし 積極性ないし」
「30なんだろ? おばサマが知らないことだってあるだろうさ きっと」
「そうかしら そんなタイプじゃないけど」
「もっとラフに男を紹介してやればどうだ 見合いとかじゃなく」
「だから 秋ちゃんに振ってるんだじゃないのよ」

「……俺? まさか俺に 本気で結婚前提での話を 振ってたのか?」
「そうよ あんたよ秋ちゃん いい歳こいた男が 結婚もせずに…
 あんたって結婚できてない男よね 彼女がいる風でもないし 自由だし
 だから姪を紹介してるのよ 私は」
「ちょっと待ってくれ まさか本当に俺に この俺に 結婚相手を 紹介しようとしてるのか?」
「そんなに驚くことでもないと思うけど」
「いいや 驚くね この世界も結構長いが 俺に結婚を勧めた女は
 ママが初めてだ …ある意味貴重な体験だな ありがたくはないけどな 
 俺のような素性も知れないフラフラした男を 大事な姪に紹介するか?
 普通はしないな ママの良識はどうなってるんだ」
「そんなに威張っていうことでもないと思うけど でも私には解るのよ
 秋ちゃんはちょっと物腰が浮世離れしてるけど とっても優しいし
 気がきくし 楽しいし 何より女心を分かってる感じがする」
「それを世間では ヒモとかヤクザな人とか 言うんだがね…」
「でも秋ちゃんは 組とか組織に属する人間じゃないと思う」

「だがヒモっぽいのは否定できないな」
「ヒモ? そうね 確かにこんなところでバイトしてるくせに
 特にがっついてないし お金に困ってるムードじゃあ ないわね」
「そうだな 生活できる金があれば他には困ってない」
「じゃあ どうして酒場のバイトなんか?」
「退屈なんだ」
「退屈! どこかの資産家の放蕩息子なんじゃない? もしかして?」
「都合のいい想像力だな じゃあ俺と結婚すれば 姪は玉の輿ってわけだ」
「やだ 意外と意外なラッキーはこんな場末に転がってたりするかもなのね!」
「意外と意外な展開には 世の中ならないものだぜ 残念ながらな」
「…違うの?」

「そんなに残念そうな顔をされると 実はと言いたくなるが その通り 違う
 悪いがMRIの検査でもした方がいいぜ ママ」
「失礼ね 頭は正常よ だけど私… 秋ちゃんのこと 気に入ってるのよね
 あんたって イイ男だわ… もう少し私も若けりゃねぇ…」
「そりゃどうも 熟女のママに口説かれると少し動揺するな だけど俺が普通じゃないのは
 この世界にいれば すぐ解りそうなものだぜ ママこそ資産家のお嬢さんで
 道楽でこの店を やってるんじゃないのか?」

「やぁね 私は現実を知っていながら夢見がちなだけよ 資産家の妻の空きがあるなら
 どんな相手の後妻にだってなってみたいけどね」
「頑張ってくれ ママに誘惑されたら 資産家は3分で落ちる」
「もう 話をはぐらかさないで 私の話はどうでもいいわ 姪に会ってくれるわよね?」
「会いません 会わない 会えないんだ
 言ってなかったが 俺の彼女は 酷いヤキモチ妬きでね
 他所の女と会ってるところを目撃されたら 殺される」

「え! 彼女? あんた恋人がいるの?!」
「…いるよ そんなに驚くとこでもないと思うがな」
「うそ!そんな嘘ついたって駄目よ! 彼女の話なんか 全然聞いたことないわ!」
「今 言っただろ」
「えー! じゃあ乗り換えなさいよ うちの姪は凄く美人なんだから」
「凄く美人なら 揺るがないでもないが それ以上に俺の彼女の方が恐い
 とにかく 駄目だ 誘惑挑発お断り この話も もうおしまい」
「どうしてよ 会うだけでもいいのよ 結婚しろって言ってるわけじゃないわ」
「駄目だ」

「何よケチ 彼女にバレないようにすればいいんじゃない?」
「ダメ」
「強情なのね 秋ちゃんて凄い女好きだと思ってたのに…
 お客さんに対する態度とは やけに違うのね それとも態度は全部偽善なの?」
「それとこれとは話が違う 俺は仕事をちゃんとこなしてるだけだ」
「…よく言うわよ 仕事の区切りなんかないくせに
 姪もあんたが接してる お客さんと同じ扱いでいいのよ 意味わかる?」
「どういう意味かな 俺はママの姪のことは知らないし 俺の関心は 俺の彼女だ」
「殺されるの? 本当に?」
「本当に殺される 気性が荒い だからできれば怒らせたくないし
 好きでもない女とデートして 無駄に傷つける必要もない」
「…傷つけたくない? ふうん よく言うわ 三流のセリフね」
「俺は三流のヒモです」
「優しいのね 秋ちゃん だけど中身は凄く強情」

「俺は優男だから トラブルは好まないんだ 正直者でね」
「そうかしら まさか私が知らないとは思ってないでしょうけど
 うちのお客さんとホテルに行ってるの ちゃんと知ってるんだからね」
「心外だ そんなところに行くわけがない 浮気は大罪だ」
「大罪! ねぇ知ってる? 嘘をつかない男は 苦痛を受け止められない男よ
 正直な男は自分にも相手にも 嘘をつきたくないと言って告白するけど
 相手を傷つけることを 平気でできる男なんだわ
 本当のことを言うのって 自分の心が楽になれるからいいわよね
 でも言われた相手は その残酷な告白にずっと苦しむわ
 そしてそういう男は同じことを何回も繰り返すの 何故か? 重荷を背負わないからよ
 重くなったら下ろしてさっさと楽になる そりゃあいくらでも背負えるわよね
 そんな男なら 私は嘘つきな人の方が 断然いいと思うのよね?」
「物凄くシビアな意見だ 胸が痛いな」

「バカね あんたは違うでしょ 私の元ダンナがそうだったのよ…
 バカ正直で 浮気して その罪悪感に耐えられなくて
 私にすべて懺悔して自分は楽になってすっきりよ
 言われた私がどんなにショックか 知りもしないでね
 相手の気持ちを想像もできない 傲慢な器の小さな人間よ
 嘘をつかない男は 自分がその嘘で苦しむのが単に嫌だからよ」
「世の中正直な男の方が モテるだろうと思ってたな」
「そんなことないわ モテる男は大抵嘘つきよ あんたも嘘つきの部類なんだから」
「酷いな さっき俺をいい人だと言わなかったか?」
「いい人とイイ男は違うわよ あんたは『イイ男』であって『いい人』じゃないのよ」
「だがそのママが思ってる嘘つきな男を 姪にあてがうってのは どういうことだ?」
「そういう男もいるって姪に教えたかったのよ いいサンプルでしょう」
「サンプルね 社会勉強の先生は 俺にはちょっと重荷だな
 それなら 嘘をつくのに悪びれもしない若いホストにでも頼めばいい
 年齢的にも 世間を知るにも ちょうどいいと思うがな」

「秋ちゃんは嘘をつくことに 罪悪感がある?」
「嘘はいけない 人間正直に生きないとな」
「あきれたわ あんたって年季の入った嘘つきね イイ男と悪い男はこの場合同じね
 ね お願いよ 姪に会ってくれない? 他に信頼できる男はいないのよ
 あんたがホテルデートした女性客と姪は同じようなものよ?
 水商売でもなんでもない 普通のOLさんだったものね?」
「本人に目の前で誘われると嫌とはいえないのが 男ってものかもしれない
 まぁ仮にそういう事実があったと 仮定した場合だがね 一般論だ」
「姪に目の前で会えば 解決じゃない」

「子供みたいなことを言わないでくれ 無理やり会わされるんじゃ演技しなきゃいけない
 俺は運命の出会いを望んじゃいないんでね これも例えばの話だが
 他の女性とホテルに行くことがあるとしたら 瞬間的な必然性があって行くのさ」
「…浮気なんかしていないっていうのね」
「しないね ホテルなんか行ってません ママの思い過ごしだ」
「女ったらし!」
「今時 そんな言葉は使わないらしいぜママ」

「あんたの彼女に会ってみたいわ そうだ 会わせなさいよ」
「女嫌いだから 無理だろうな」
「気が強くて女嫌い? 彼女は美人?」
「客観性によるな」
「あんたから見てよ」
「さぁな」
「何よ やらしいわね その含み笑いはどういう意味?」
「いや 美人だなんて答えたら 怒り狂うだろうと思ってな」

「控えめな彼女なの?それとも世辞も言えないほど不美人なのかしら」
「ストップ 何にも出てこないぜ これ以上はな」
「分かった! 随分年上の資産家の未亡人!」
「どこの世界から来たんだママは 俺がそんな身分の女を口説けるわけがないだろう」
「そうかしら う…ん そうよね やっぱり身の程を知ることは大切よね」
「途端に格下げか」
「え? やあね あんただけのことじゃないわ 姪なんだけど…」
「やっと本当の理由を述べる気になったか」

「…悪かったわよ 確かに無理があったわよ 実はあの子ね…
 うちの姪は どうやら悪い恋をしてるようなの」
「そりゃ大変だ 人の恋路にかかわるのは ますますご遠慮申し上げる」
「でも ちょっと普通じゃない変な恋をしてるのよ ほっとけないわ」
「恋に正常も異常もないと思うがね」
「世間知らずだから心配なの! ちょっと前に会社の上司に連れて行かれたバーで
 一目惚れしたらしいのよ 普通は惚れないような危険なタイプの男に!」
「なんだ 男嫌いじゃなくて良かったじゃないか」

「良くないわよ あんな危険な男に惚れて 騙されたりしたら どうするのよ!」
「子供じゃないんだから そんなに心配しなくても で、その男は 姪を口説いたのか?」
「まさか あの子 見てるだけだもの そんな進展があるわけないわ」
「じゃ 憧れでおいておけばいい 世間知らずな娘ならよくあることだ」
「だけど ああいう男は危険だって 知らしめた方がいいのよ 自分自身で」
「…ちょっと待て だから俺にあてがおうと思ったのか 酷いな」
「だって あんたの… 何人もの女性へのたらし具合の器用さを見てたら
 これはちょうどいい不誠実なレベルだと思うじゃない?」
「あのな だから俺は潔白だって 何だか毎回聞くようなセリフだ…」
「姪が騙されて傷ついたら 秋ちゃんのせいなんだから!」

「超絶理論だな それはそれで困る 分かったよ その男はどんな男なんだ」
「セブンズ・ヘブンってバーがあるのよ 一駅先に 一見さんお断りの会員制の店」
「…微妙に知ってるな」
「やだ アンタあんな店に行くの あそこってゲイっぽい男が多いのよ?」
「……かもな」

「じゃあ そこで最近 時々バーテンをしてる男を知ってる?
 顔に横一文字傷のある男 結構目立つわ 声はちょっとハスキーな…
 無口だからハスキーかどうかは分かりにくいけど 一度聞けば忘れないわ
 あの傷は刃物傷よ 見た目も絶対ヤクザ崩れだわ あんな男をバーテンにする店なんて
 ろくな店じゃないわよね で その男がよく行く怪しいショットバーが
 姪の上司の行きつけの店でね そこはセブンズ・ヘブンよりは マシな店なんだけど
 そこで姪は出会ってしまったわけよ その男に 一目ぼれってやつ!」

「その男はあまり女性にモテる感じじゃないと思うがな」
「そうよね だから姪は趣味が変なのよ 見る目がないの」
「なるほど」
「ねぇ 今から偵察に行かない?」

「は?」

「姪がいるのよ今日もその店に ねぇお願いよ 秋ちゃん
 あんたが姪と親しくすれば 多分その男だって 警戒して 騙そうとか
 滅多な気を起こさないと思うのよ」
「それはどうかな 逆効果で… 俺の立場的にだが 滅多な気を起こされるかもしれない」
「え? どういう意味? とにかく心配なのよ! あの子 本気で惚れちゃって
 道を踏み外したらどうしようかって」
「大丈夫だと思うがね」

「そんなことないわ 経験がない子ほど いったん嵌ると恐いのよ!」
「いや 俺が言ってるのは その男の方…」
「年増の娘なんか 相手にしないってこと?」
「そう 娘は特に …息子なら別だが」
「はぁ? やだ ホモってこと? そういえば その店に連れてった姪の上司と
 その男は結構アヤシイ感じだったわ そういう関係なのかもしれないわね あの子も不憫ねぇ…」

「よし 偵察に行こう」


2へ続く