邪 悪 な 純 粋

<2>

彼の役に立ったのは、一度や二度ではない。
それは彼の心を傷つけた奴らに、しかるべき罰を与えてやったことだ。

可愛い顔をして淫売な、娼館出の少年たちだ。
奴らは、子羊の顔をした醜いカエルどもだった。
少年娼館から払い下げられた、役立たずで無価値な少年たちに
人としての権利と教育を施し、彼は少年たちを心から愛した。
それなのに奴らは、優しい彼の親切と信頼を裏切り、
よりによって、彼の家族を奪った少年好きの異常で病的な男に
すっかり乗り換えて、その身を預けているのだ。
誑かされていることに、気づきもしない馬鹿な蛙ども。
なんと酷い、恩知らずでふしだらな奴らだろうか。
それは何度となく繰り返され、
彼はそのたびに心を痛め、傷つき、そのたびに俺は慰めた。
あのまぶしいほどの彼の微笑みから笑顔を奪い、
涙を強要し、悲しみを植えつけた奴ら。
でもじきに男は、少年たちを弄ぶのに飽き、ゴミ屑のように捨てた。
そうなってやっと気がつき、彼の元に戻ろうなどと
虫が良すぎるというものだ。

だから男の手を離れてから、しばらくして俺は
あのふしだらな奴らに制裁を加えてやった。
俺の彼にあんな酷い仕打ちをしたのだ。
どうせ奴らは体を売ってきた汚らしい不潔な生き物だ。
あれは人間ではない惨めな蛙だ。
そんな生き物たちにはふさわしい最後だったと思う。
彼は初め、俺のそんな仕事ぶりに困った顔をしたものの、
俺を切り捨てることはしなかった。
ただ頭を振って微笑み、
オレのためにすまなかった、とさえ言ってくれた。
何処までも優しい彼。
そのうちに、聞かなくとも彼の望むものが、俺にはわかるようになった。
多分、俺は彼の役に立っているのだ。
俺は、仕事をこなすたび、彼の足元に口付ける権利を貰った。
俺の可愛い天使に跪く最高の至福。

これは秘密だ。
彼のイメージに似つかわしくない。
俺が懇願して無理をいい、与えて貰っただけなのだ。
俺と彼との甘い背徳の秘密。

それ以来、俺は彼が傷ついた時には、連絡を貰えるようになった。
でも俺はいつでも彼の現れる場所のチェックは怠らなかった。
最近はあまりカフェやROOMで会うこともなくなった。
会えなくなると次第に俺は、
あの男が連れている少年たちに目をつけるようになった。
きっと、どの少年も、彼を裏切り寝返った蛙どもに違いないのだ。
まだ彼は、俺に助けを求められないほど泣いて傷ついているのだ。
いつ連絡が来てもいいように、いつでも獲物の下調べは充分にした。
いつの間にか俺は彼直伝のスキルで、ハッキングの腕はかなりのものになっていた。
「クリムゾン・キャッスル」の連中でさえ
もう俺を彼のお情の入場パスで入った素人だとは思っていない。
みんな、俺に一目おいている。
それでも俺は誰にも声をかけられることはなかったが、幸福だった。
俺の神さま。天使さま。愛しい秘密の恋人。
俺は必ず来る彼からの呼び出しを待ち続ける。
誰も知らない秘密の場所での逢瀬を恍惚と待つだけなのだ。

「ねぇブルー・トリップ 今度の話を聞いてくれない? 酷い目にあったんだ」

ブルー・トリップは俺の名前だ。本当は彼の裏のハンドルネームなのだが、
彼は俺を呼ぶときは親愛を込めてそう呼ぶのだ。
俺は彼の分身。
俺の本当の名前はもう忘れてしまった。
でも必要ない。彼が呼ぶ名が、俺の名前に決まっているのだから。
そうだ、彼の名前を教えるのをすっかり忘れていた。

彼の名は「テキーラ」
通称キラ。

この世界で、彼を知らない者はいない。
国のセキュリティ連盟の顧問という役割を持ち、
俺よりも年下なのに、大人からの尊敬と信望を集めている。
誰でも近づけるわけではない尊い存在だ。
でもキラは、誰をも嫌がったりしない。
みんなを分け隔てなく愛しているのだ。
純粋な無償の愛で。

いつだったか キラが言ったことがあった。
キラを育てた「家族」が、それを与えてくれたのだと。
でもその「家族」は、あの少年嗜好の下品な男によって奪われたのだ。
それについては、キラはあまり語ろうとしなかった。
深く傷ついていることは想像できた。
キラは「幸せ」な「家族」との思い出が慰めだと、うっとりと言った。
それが、キラの天使の微笑を支えているのだ。
羨ましくもあり、悲しくもあった。
でも俺にはその感じは、よく解らないというと、
こうだよ、とキラは俺を抱きしめて唇を寄せた。

俺は息をするのも忘れた。
俺にキスをするものなど、これまでいなかった。
キラによって知った、抱擁の感覚と、柔らかな暖かい唇の肌の感覚。
これが本当に血の流れているという温かみなのだろうか。
今までの俺はそんなものは、知らなかったのだ。
誰も与えてはくれなかった。
俺はまた泣いた。
キラはまた黙って俺にキスを繰り返した。
そのまま死んでも良かったほどだった!

彼が俺のキラ。
俺の世界。
俺の世界の全てはキラで成り立っている。
いや、俺の細胞がキラで成り立っているのかもしれない。
彼のためなら命だって惜しくはない。
彼がいなくては命などないも同じ、必要ではない。

俺はキラから連絡があると、
その逢瀬に跪きそうな衝動に駆られながら、話を聞いた。
キラは役に立った時にしか、俺に跪くことを許してはくれないのだ。
さあ、仕事だ。俺のキラ。
俺だけがキラを悲しませるものから絶対的に救ってあげられるのだ。
キラ。俺の世界はキラそのものだ。
心配せずとも、もうエモノの名前も情報も調べてあるよ。
心優しい天使のキラ。
俺はキラの役に立つ、使える利口な人間だろう?
キラが望むように、俺はいつもやってきたのだ。
キラは俺に、愛情のこもった瞳で見つめ、悲しい極上の顔で微笑んだ。
俺はその微笑みを焼き付ける為に、きつく目を閉じた。
いつ会えるとも知れない次の逢瀬まで、瞼の裏にキラの笑顔を刻み込もう。
キラが望まないのなら、俺だって本当は、こんなことはしたくはないのだ。
でもあのふしだらな奴らは、キラを苦しめたのだから、当然の報いだ。



どうだい。おまえら、俺の話は、感動したか?


俺は目の前で怯えている、顔は愛らしいが心が汚らしい少年らに問いかけた。
おまえらのような下等な汚い生き物には
感動などという崇高なものはわからないか?
いや、そんなことはあるまい。
キラの元で、最高の人間の尊厳を教えられたはずだ。
そう。俺のように。
それなのに何故あの娼館通いの下世話なギャンブル好きの、
ウオッカという最低な男の下に走ったのだ。
信じがたい裏切りだ。
所詮おまえらは、何の価値もない道具なのだ。
でもキラは、そんなおまえたちでさえ、笑顔で許すだろうよ。
でも俺が許さない。
俺のキラから本当の笑顔を奪ったものは、すべて、だ。

いいか、おまえら。
地獄に堕ちろ。

俺が、おまえらが今までいた娼館なんかよりも、
もっと酷いところへ送ってやる。
データは残らないよう処理してやった。
誰もおまえらを探すことはできない。
もう存在しないも同じなのだ。
一度、人としての尊厳を教えられた生き物が、あそこに行くと、
どうなるか知っているか?
人としての心など、知らなければ良かったと思うだろうよ。
道具でいた頃を、懐かしく、切望するだろう。
それはもう―――残酷なことさ。
死んだほうがましだろうさ。

俺は慈悲深い。キラのおかげだ。
おまえらは、こんなになっても、キラの慈悲を受けられる。
あそこへ行くのが嫌なら、
どちらかを選ばせてやってもいい。
幸せなことだろう。

耐え難い屈辱か、死を。
選べ。

でもキラはおそらく、こんな結果を望んではいない。

可哀想なキラ。
壊れそうに純粋で、儚い心を持った俺の天使。
俺にはキラの苦しみと痛みが自分のことのように解かる。
きっと俺の仕事は、またキラの天使の微笑みを曇らせるだけだろう。
俺は、本当は解っている。
解っているのだ。

本当は、キラはそれを望んでいないのだ。
いつも俺の仕事に苦しみながら、俺を許し微笑んでいるのだ。
いつか、俺は消えるだろう。
キラを悲しませるものは、俺が許さないからだ。

俺は、自分をも、殺すだろう。
俺を、終らせるのだ。

キラのために。
俺の天使のために。
キラが微笑みで許してきた罪を、俺が償う。
それは俺が以前、死にたいと思った無意味な価値とはまったく異なる。
俺のやり遂げた仕事の事実と、真実を抱えて、闇へ消え去るのだ。
何も残らず、何も知る者はいない。
キラのために、俺がキラを苦しめたことは、消さなくてはならない。
それは、俺のもっとも望む、純粋な完結の形なのだ。

もしも、おまえらが生き残ったときは、
いま、俺が話したことのすべてを、告発すればいい。
でもその頃にはきっと俺は、跡形もなく、姿を消しているだろう。
俺の名前は、誰も覚えていない。知りもしない。
無かったのかもしれない。
誰も俺に声をかけない。存在しない。
それは、俺のもっとも望む、純粋な完結の形なのだ。
俺のキラのために、必要な完結の形なのだ。

いつまでも愛しているよ キラ。
その完結の形をもって、俺は永遠の愛を誓おう。

俺のキラ。
可哀想なキラ。
運命だと、俺は思う。

あの深紅の城で、おまえに会ったことを。


END

 
      
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