サマータイム・ブルース・2

02




コウジ「鏡夜くん」

鏡 夜「コウジさん、こんばんは。いらっしゃいませ。珍しく真夜中の訪問ですね」
コウジ「なぁ、顔面蒼白で、すっ飛んで逃げちまったけど、あのカレ? いいのかい?
    アンタも人が悪いなぁ。俺をお盆にやってきた、真夜中の幽霊に仕立てたのか?」
鏡 夜「マックさんは、お化けの類が大変苦手ですのでね。……ククク、凄い足の速さでしたね」
コウジ「酷いバーテンダーだねぇ。さすがレイジの店はバーテンダーもイカレてるな」

鏡 夜「すみません。でもコウジさんが、ウソのお話をなさっていたので、
    私も少しご協力させて頂いたのですけど。嘘がばれなくて、結果的には良かったでしょう?」
コウジ「そんなに嘘はついてないよ。助け舟のつもりか? 鏡夜くんは、あの彼に恨みでもあるの?」
鏡 夜「そうですね。ないと言うと、嘘になりますね」

コウジ「おっと、コワいぞ。きっとレイジがらみなんだろうなぁ」
鏡 夜「コウジさんこそ、初めてこの店に来ただの、レイジさんと長年会ってないだのと、
    何のための嘘ですか? あなたは江蕩さんの葬儀にもちゃんと出てらした筈ですけどね」
コウジ「いやー、別に嘘をつくつもりじゃなかったんだけどさ、彼がベーシストと分かってなんとなく、ね」
鏡 夜「レイジさんとあなたは、数ヶ月前にこの店で会ったばかりですよね。
    今夜、留守なのも御存じの筈ですけど。何かレイジさんは言ってましたか? ベースシストについて」
コウジ「うん、まぁね。でもこの店に出向くのは、数ヶ月ぶりのご無沙汰だから、いつ来ても良い店で新鮮だなと。
    けど鏡夜くんだって、俺が来ているのに、何で声をかけてくれなかったんだよ?
    つい調子に乗って余計な嘘をついちまったじゃないか。俺って結構、役者だよな」

鏡 夜「お声をかけしようとしたら、コウジさんが、マックさんに大ウソを語りだしたんですよ。
    ちょっと面白そうだったので、少し拝聴してみようかと思いました」
コウジ「盗み聞きはいけないなぁ。オーナーがレイジなら、部下も部下か。
    自己紹介の挨拶もせずに逃げ出されちゃ、話の終わりに実は嘘でしたと言えないだろ。
    俺はずっと彼の中で、幽霊か幻覚のバケモノになるのかなぁ? 俺、明日から海外遠征なんだけどね」
鏡 夜「すみません。ちょっと悪ふざけが過ぎましたね。マックさんには謝っておきますよ。
    でもどうせ私は彼に嫌われているので、今さら取り繕うこともありませんけどね」
コウジ「でも、お客様だろ?」
鏡 夜「そうでした。お詫びしておきます。誠心誠意、心を込めて謝っておきます」
コウジ「なんだか適当に聴こえるなぁ。アンタもレイジみたいになってきたな」

鏡 夜「先ほどされていたお話は、本当のことですか。コウジさんはそんなふうに思っていたのですか?
    江蕩さんとレイジさんの時間を奪ったと。それともそれも、嘘?」
コウジ「うーん、まぁ、それは本当さ。レイジ以外の誰かに聴いて欲しかったってのもあるかな。
    レイジには言えてないんだ。でもさ、最終的にはレイジはエトーと俺のおかげでくっついたんだから、
    謝罪する必要なんかないよな。ところで彼はマックくんと云うんだね。レイジが言ってたベーシスト」
鏡 夜「レイジさんはマックさんのことを、何と話しましたか?」
コウジ「名前は云わずに、自分に気がある面倒くさいバカで生意気な小僧だと言ってたけど、
    職業はシックスティーズのベースマンだと言ってたから、きっと彼のことだよな?
    なかなか面白い好青年に見えたけど。思ってたより精悍な顔つきの男前だ。相変わらず面食いだね。
    レイジはすっかり変わったようで、根っこは結局、以前とあまり変わってないよな」
鏡 夜「そう思われますか?」

コウジ「思うさ。レイジは、あのベースくんが好きなんだろ。今、彼とつきあってるのかな?」
鏡 夜「……分かるんですか?」
コウジ「俺はずっとエトーとあいつのやり取りを、傍で見てたんだぜ?
    だから俺には、話し癖や表情でそういうの、わかるんだよ。レイジは、あのベースに本気で惚れてるだろ?
    そうだと思うよ。さっきの目の色が変わるって話は、レイジが彼のことを話したときの話だったんだ。
    彼はエトーのことと、勘違いしたみたいだけど」
鏡 夜「好きだということに、レイジさんは肯定していましたか?」
コウジ「いや、レイジは違うと言ってたけど、そんなの口先だけさ。商談では完璧に感情を隠すけど、
    俺の前では、気を抜くんだろな。バレバレだよ。レイジのちっとも素直じゃないとこは、昔と変わらないし。
    意地を張り続けて二度も後悔するようなことだけは、もう避けて欲しいと願うけどね」
鏡 夜「そうですか。もう、隠しきれないほどになっているのですね」

コウジ「彼の方もレイジが好きなんだろ? ベースくんもレイジのことを言ったとき、目に光が差した。
    最も、あの彼は目の色を見なくても、単純で解りやすいよな。言葉の端々に出てたよ」
鏡 夜「そうですね。彼はわかりやすい単純なひとです」
コウジ「でもレイジにそんな相手ができて良かったよな。もう無理だって思ってたからさ。
    この間もさ、いい加減エトーの亡霊から解放されろって言ってやったら、また天然おせっかい魔が出て来たって、
    煩そうに云うんだけどさぁ……。あいつはさ、昔から誰かに背中を押されないと一歩先に進めないんだよな。
    すぐ合理化して、諦めちまうから。賢いんだろうけど、変るならそこを変れって言うんだよ」
鏡 夜「おせっかいを焼くなら、マックさんにそれを言ってあげてはどうですか。
    あのひとは、レイジさんの気持ちを知らないでいるんですから。自分の片思いだと思ってるんですよ」
コウジ「ははぁ。レイジのヤツ、やっぱりか。あのバカ、また時間を無駄にしてるわけなんだな。
    何年経っても、懲りないヤツだよ。まったく頑固だからさ。レイジらしい。いい歳して、恋愛ごとがまだ苦手なのか。
    ま、でもたぶん、相手があの彼なら、大丈夫なんじゃないかな? 結構、強引そうだ。押してくれるだろ」
鏡 夜「レイジさんは、私に遠慮して告白ができないのです」

コウジ「そっか、アンタもレイジが好きなんだな。なるほどね。鏡夜くんは、昔の俺のようだね。
    そんな役はもうさっさと降りた方がいいと思うけど、なかなかそうもできない気持ちの方も解るよ」
鏡 夜「コウジさんは、江蕩さんたちが二人で仕事を始めたと聴いて、悔しくはなかったのですか?
    二人が再会しなければ、あなたが江蕩さんのパートナーになれた可能性も、あった筈なのに」
コウジ「そう思う? 他人はそう思うかもね。でも俺には……分かってたんだよね。
    いずれ二人が、そういう展開になるってことは。遅かれ早かれね。俺は引き伸ばす努力をしてたってだけ。
    最終的に江蕩さんは、俺をダシにしてレイジを引き込む駆け引きをしたんだ。
    俺は、態の良いピエロ役だったんだよ。長年かけてね。江蕩さんは、俺とは違う世界のひとだった。
    あのひとのエゴを受け止められるのは、レイジしかいなかったよ」
鏡 夜「エゴ、ですか」

コウジ「エトーはね、酷いヤツだったんだ。愛すれば愛するほど、その相手を突き放すとこがあったんだ。
    だけど、よほど自分が執着する相手でないとそうはなならなかった。屈折してるよな。
    今思えば、あのひとも、本気の恋愛ごとが苦手だったんだろうな。だからやり方を間違えてた。
    俺はその点では、江蕩さんにすごく親切にされてたよ。なんたってレイジを繋ぐ頼みの綱だからな。
    彼にとって俺は、都合良く動いてくれる、気が利く便利な後輩でしかなかったんだ。
    それに気が付かなかった頃は、とんだ勘違いをしたもんだけど。
    江蕩と連絡をし合えるのは、特別な俺だけだって、優越感に浸ってたんだからな。
    レイジは携帯番号さえも知らされてないって。でもそれはレイジを釣るための、エトーの策略だったんだけど」
鏡 夜「それは……コウジさんの考えすぎなのではないですか?
    レイジさんは、コウジさんのことを、良いヤツで仕事のセンスも良くて、エトーが重宝したのは分かると言ってました」
コウジ「そう? へぇ? ちょっと違うけどな。俺とレイジは、同じ位置にいて、まるで違う立場だったんだよ。
    エトーの同じ会社の後輩、同僚でありながら、江蕩さんにとってはレイジが、初めから唯一特別な人間だったんだ」
鏡 夜「それをあなたが知ったとしたら、とても辛いですね、コウジさん」

コウジ「でも二人の決断を聴いたときは、正直、ほっとしたね。エトーさんはやっとレイジを手に入れたんだ。
    レイジにとっては、昔の立場となにひとつ変わらなかったのかもしれないけどな。
    振り出しに戻ったって気分だっただろう。エトーは相変わらず残酷で、エゴイストだったから。
    レイジも自分を愛してるんだと確信してからは、ついにレイジの全てを手に入れたと思った筈だよ。
    レイジはずっと長い間、江蕩さんに心酔してた。それに気付いた悪魔は、嗤って攻め込んだのさ」
鏡 夜「江蕩さんは悪魔だったんでしょうね。あれほどレイジさんを、死後も縛り付けたんですから」
コウジ「エトーの相棒は、危険な商談をわざと選んで、死に急いでるようだって風の噂で聴いてたよ。
    レイジは元々無茶なとこもあったけど、エトーの後を追って死にたいんだろうって、云われてたね。
    だから俺はその頃にも飛んで行って説教したけど、もうレイジは誰の言葉も聴かなかった。
    江蕩さんみたいに、嗤ってたんだ。俺はエトーに完全に憑りつかれたんだと、ぞっとしたね。
    死ぬのが本望なのかって腹を立てて、会わなくなった。でも、たまに無駄な努力をして、縁は切れなかったけどね」
鏡 夜「あなたの代わりに、私がレイジさんを死なせることはさせませんでした」

コウジ「茅野鏡夜。謎の男だ。凄いやり手の有能な右腕が付き始めてから、危険を回避し始めたって、業界の伝説だ」
鏡 夜「伝説ですか? 大げさですね。私はただのレイジさんのアシスタントです」
コウジ「レイジも大層、きみのことは評価してるぜ。この間だって、大事なパートナーだと言ってたし。
    鏡夜が来てから、無理だと思ってた商談がツキまくって、みんなが妬み羨む愕きの展開になったって。
    絶対、手放したくないってさ。今のレイジがあるのは、アンタのおかげだろうね。アンタがレイジを救ったんだな。
    いいなぁ、レイジは若い人にモテモテだ。意外だよ、ホント。ひょっとすると迷ってるのかもしれないなぁ。
    レイジはアンタと、ベースくんの間でさ。どっちも好きってこともあり得るしな」
鏡 夜「救ってはいませんよ。回避させていただけです。私は常に死神に彼を奪われないよう気をつけていただけ。
    そのおかげで、仕事が円滑にいったというだけなのです。レイジさんの才覚はすごい。尊敬しています。
    だけど心は、私には救えませんでした。彼の心を救ったと言うなら、きっと別のひとです」
コウジ「人の心を救うのは難しいよな。結局、自分自身で立ち上がる気がないと、手を貸しても強くはなれない。
    ただ怪我をした者がひとりで立ち上がろうとするとき、誰かの支えはやっぱり必要だ……」

鏡 夜「あなたは、その支えを確認しにきたのですか?
    コウジさんは、レイジさんのいないこの店に、何を探しに来られたのでしょうか」
コウジ「俺? 別に何も探してないよ。レイジがいないのを忘れてうっかり来ただけだよ。俺も歳だよなぁ。
    忘れっぽくてさ。でも、もしあいつのいうバカで生意気な小僧が来てたら、ちょっと会いたいと思った。
    来るのはたいてい真夜中だって言ってたし。あんなふうに話すレイジを見るのは、久しぶりだったからさ」
鏡 夜「会ってみて、どうでしたか? 彼はレイジさんに相応しい人物でしたか」
コウジ「別に普通のコだと思ったけど、あのベーシストくんは、レイジが強くなれる何かを持っているんだろうね」
鏡 夜「強くなれる、何かですか」
コウジ「そう。レイジが生きて行くために必要なもの。生活とか仕事とは、違う次元の問題のもの」
鏡 夜「―――音楽、なのかもしれません。きっと。あのひとの孤独を救った、懐かしい音の物語を奏でる者」

コウジ「音楽? 音楽か。レイジは、昔から好きだったよな。趣味でピアノも弾いてたし。
    そう、レイジと江蕩さんが再び結びついたきっかけは、シックスティーズだったしなぁ……」
鏡 夜「私には、絶対に太刀打ちできないものです。ただ音楽が出来て、楽器が上手く弾けても駄目なのです。
    古き時代を奏でるシックスティーズという場所が、大事なんですよ。あのステージに立つ者はすでに選ばれています。
    老舗シックスティーズのステージで生きるひとたちには、昔から私は頭を垂れ跪くしかないのです。
    古い音楽を愛する者にとって、あの店は尊い憧れの聖地です」
コウジ「すっぱり、レイジを諦めたら? 俺はそれが良いと思うけどね。アンタは他にもモテるでしょ」
鏡 夜「それができれば、もっと早くにそうしていますよ。でも、できないのです。できないことが、苦しい。
    レイジさんの気持ちを一番に尊重したいのですが、私はあのひとの傍にどうしても居たいのです。
    彼が私を捨てられないことを良いことに、私はズルい人間です。愛とはなんでしょうか。
    私はどんな形でなら、あのひとの傍にいられるのでしょうか。ずっと考えています」
コウジ「辛いねぇ、恋煩いの純粋バーテンダーさん。愛の定義はいろいろあるけど、正解はないよね。
    ほんの少し、自分の欲望を押さえてやることができれば、水は自然に流れるようになる。
    俺のようにずっと後悔を抱えなくて済むよ。それができるのは、今しかないのかもしれないぜ」
鏡 夜「今、なのでしょうか」

コウジ「ま、ゆっくり考えたら? このまま三角関係が長引けば、あっちの二人が破綻するかもしれないし、
    またはもっと結びついてしまうかは、誰にもわからないからね。引き際は自分で決めないとな」





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