恋はみんなのもの
01






・・・・いいな、ナルセは。

ナルセの歌に心酔するこのとき、ずっと昔の懐かしい記憶が思い出される。
優しい孤独の時間。
オールディーズのある遠い過去の風景。
目を閉じて、ビコーズを歌うナルセの歌声を体の隅々まで浸透させる。
恍惚でどうかなりそうなほどの、ヤバイ心地よさ。
ナルセと初めて寝たとき、おれは随分と興奮したものだった。
ナルセはとにかく歌や顏だけじゃなく、何もかもが最高だった。
だけどそれも、今は遠い昔。
ナルセは、おれのものにはならなかった。

こんなに近いステージにいるナルセと、一体になれるようでなれはしない孤独。
少し寂しい想いはあるのに、心は穏やかだ。
歌うナルセに寄せる恋は、みんなのものだ。
今、ちょうどグラスの氷がいい具合に溶けて、一番好みの濃度だ。
コルドン・ブルーをシックスティーズに置くようになったとは知らなかった。
店長め、やるじゃないか。

この酒は今は亡き仲介屋がよく好んでいた酒だった。
酒の銘柄でひとを思い出すというのは、特別に良い気がする。
この世から去ったとしても、この酒を飲むと思いだすなと言って貰えるようになれたら本望だ。
ただし、そんなことを云うのは、ただの飲んだくれ仲間だけに違いないが。
それでもおれが酔う時、そばに居る人間は、気の置けない最高の友だという気がする。


ゆるやかな、酔い―――。
気分が最高にいい。
どうやら少々飲み過ぎたようだ。
おれらしくもない。

だが、その理由は解っていた。


アッチの通路から見慣れた顏が近づいてきた。
何なんだ? ステージはどうしたんだ?
ふざけたMCをし過ぎて、ベースはお払い箱になったのか?


そうか、もうインターバルか。
いつの間にかステージが終わっていたことに気が付かないなんて。
相当、酔ってるのかな、おれは――――。



マック「……レイジ? おーい、大丈夫か? 飲み過ぎじゃねぇの」

バカがおれの顏を覗き込んできた。頬杖をついたまま視線だけ声の主に向ける。

マック「微動だにしてないんですけど? 何を飲んでるんだよ。スコッチ?」
レイジ「……コニャックだ」
マック「コニャック! また高級なお飲物ですね。リッチなオーナーさんがお飲みになるのは」
レイジ「うるさい。シックスティーズで飲むレベルなんか高級でもない。単に好きなんだ。
     だいたい、おまえもおれの店で飲んでるだろ、ヘネシーを。知ってるんだぜ」

マック「なんで知ってるんだよ……。茅野は客の飲んだ酒をあんたに報告してるのか?
    いいだろ、ピアノマンは高級だからそんな気分になるんだよ。それプライバシーの侵害じゃねぇの」
レイジ「セブンレイジィの連中がよく飲む酒だけはチェックさせてる。特にヘミだな。
     贈り物に使うと喜ばれるだろ。女王様にはあらレイジ、気が利くわねと言われたいからな」
マック「俺のとこに持ってくるやつ、俺のリサーチとは思えないけど?」
レイジ「おまえにブランデーなんて、笑えて持っていけるかよ。安酒で十分だ」

マック「あ、そ。ところでさ、2月末にイベントがあるんだけど。観に来ないか?」
レイジ「どんな?」
マック「店長の知り合いのボーカルが来て、歌うんだよ」
レイジ「……なんだ、そりゃ。シックスティーズに転職してくるのか? ナルセは?」
マック「あいつはお休みだよ。帰って来るんだとさ。アメ〜リカから、愛しの彼氏がさ」
レイジ「豪が? もう三年経ったのか? 早いな」
マック「さぁ。知らねェけど、とにかく23日の日曜だよ」
レイジ「日曜? セブンレイジィロードは日曜は休みだろ」
マック「だから、特別なイベントなんだって。ナルセはもともと出ない」
レイジ「何日だって?」
マック「23日」
レイジ「覚えられないな……」
マック「飲み過ぎなのかあんた。どうせ覚える気がないんだろ。書いてやるから持って帰れよ」

―――書く? メールするという意味なのか?
だけど持って帰れと云ったよな。どこに書くつもりなんだ。
ナマイキな小僧はテーブルに置いてあるリクエストカードを一枚取ると、
断りもなくおれのテーブルの上で、言葉通り書きはじめた。
さすがに椅子には座らず、しゃがんではいるが。
自然と目線の下に奴の顏がくる角度。

その様子をじっと眺める。
ありがちな表現だが、まつ毛が長い。
鼻筋が通っていて高く、随分と綺麗だ。
端正で整ったパーツ。
こんなに近くで小僧の顏をじっくり見たことなどなかったな、と思う。
ベッドではもちろん至近距離にはいるが、起きている時じっくり冷静に見たことなどない。

やけに長い時間だと思い、奴の手元を見る。
ご丁寧にステージの各時間まで書いているらしい。マメなヤツ。
オープンが早い。そして、3ステージだけの早終いのようだ。
下手くそな字だなと思っていると、心の声が聴こえでもしたのか、
いつもはこんなに汚くないんだけど、テーブルが悪い、と言い訳をし出した。
おれはまた、紙に向かったままで言い訳をする小僧の顏を見つめる。

精悍な顔つき。
知らない誰かみたいだ。
誰だっけ、こいつは? おれの知り合い?
最近、すごく近くにいる。
全部を書き終えたのか、ふいに小僧が顔をあげた。

目が合う。
おれをまっすぐに見る、目。
ふいに固まって、その目を離せなくなった。

小僧はおれと目が合ったまま、微動だにせず凝視している。
視線を外せばいいのに。
蛇に睨まれたカエルなのか?
何故、見てるんだ?

それにしても、こんなに目玉がでかかったっけ?
やたらと大きな眼だ。曇りのない目。
引き込まれて全てを持っていかれそうになる、大きな目。
そうか。

こいつ、目力が強いんだな。意外と。
気がつかなかった。
そして顏の造りが相当、良い。
知らなかった筈はないのだが、この顏はおれ好みなんだな。
野性的でシャープな輪郭。ひとつひとつ整った部位。まっすぐな曇りのない目。
すぐにフラフラと意見を変えるけど、芯は揺るがない意志を持っていそうな目。

そうか。だからなのか。
だから、あいつは――――。



マック「……あのー、そんなに見つめられると照れるんですけど?」
レイジ「その日は、他のイベントがあるな」
マック「え、マジで?! だったら初めから言ってくれよな。無駄に時間まで書いちゃっただろ!」
レイジ「今、思い出した。その何回もなぞったヘタクソな数字の日付を見てたら」
マック「これは、机がデコボコしてて、ちょっと書き辛かったんだ……普段はもっと上手いんですけどね。
    でも、そうなのか。んじゃ、これ不要だな……」
レイジ「中止になったら来てやるよ。時間を参考にするから、貰っといてやる」
マック「中止なんて滅多にないだろ。何のイベントかしらねぇけど。ま、期待しないでいるよ」
レイジ「だいたい、なんでナルセがいないのに、ざわざわおれが見に行かないといけないんだ?」
マック「俺が、出るから?」


・・・・・・・。
絶句。
どうも調子に乗り過ぎてるな、こいつは。
ちょっとおれを独占できたからって、我がもの顏とは呆れかえる。
おれが小僧ごときを見るために、ここへ来ていると思われているとは心外だ。
まったくもって、腹立たしい。訂正するべきだ。

いや。違う。
そうじゃない。それは違う。おれが観に来ているのは、確かにナルセを、だ。
だけど、そうじゃなくて、観にきているんじゃなくて、おれがシックスティーズに来る理由は……。



レイジ「おまえ、こんなところで油売ってないで、いい加減他の客席に行って来いよ」
マック「レイジは大丈夫か? 結構、飲み過ぎてるだろ。珍しいよな。なんかあったのか。
    そのまま途中で帰るなよ? 最後までいてくれよ。 一緒に帰ろう」

レイジ「一緒に? どこへ」
マック「俺んちだけど。 今夜は泊まらない?」
レイジ「……泊まる」

マック「なぁ、最近さ、俺んち泊が多いけど、茅野とケンカでもしたのか?」
レイジ「ケンカはしてない。なんたって鏡夜とは、ほとんど話してないからな」
マック「話してない? いつから」
レイジ「去年のクリスマスから」

マック「はぁ?! 今、二月だぜ? まさか、うそだろ? ひとことも?」
レイジ「もちろん仕事の話はするし会ってもいるが、それ以外のことが話せてない」
マック「・・・・俺らのことも、話してない?」
レイジ「話せると思うのか? おまえのナイロンザイルの神経と一緒にするな。
     だいたい、おまえが先に鏡夜に詫びを入れる約束じゃなかったか?」
マック「謝りに行けって? 俺も忙しくて茅野には会えてないからなぁ。正月も話せてないのか?」
レイジ「正月もおれはおまえのとこに入りびたりだったのを忘れたのか」
マック「あ。そうですよね……まいったな」
レイジ「もう、行けよ。ベースマン。そのうち、なんとかするさ」

マック「ああ……。じゃ、レイジ、良い気分だからって途中で帰ったりするなよ? 最後までいろよな?」
レイジ「またあとで会えたらいいな、マック」








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