夏まつり
3
あの男の、にやけた顔を思い出すのは、
こんな暑い夏祭りシーズンの夕暮れ時だな……。
あの日は、すっかり日が暮れて、俺はベランダのソファで、悠々と夕涼み中だった。
ちょうど政府の夏祭り会場の、真上のマンションに住んでいたから、
祭囃子や、蜩の声が郷愁を帯びて、何ともいいがたい粋な宵だったんだ。
良い気分で、ゆっくりひとり酒を飲んでいたら、無粋なインターホンが鳴った。
酔っ払いオヤジが、二匹の子連れで、にぎやかに五月蠅くやってきたんだ。
偶然近くまできたから、と来たもんだ。確信犯のくせにな。
気分を台無しにされて、うんざりしたのも覚えてる。
もちろん、入れてやったさ。
ドアを開けないと何をするか、わかった男じゃないからな。
幼い兄弟の、弟の方は、金魚の柄の新品の浴衣を着て、
結んだ帯をヒラヒラさせて、本当に金魚みたいだった。
兄弟そろってちょろちょろ動いて、どっちも小さな金魚みたいだったけどな。
二匹はベランダを陣取って、真下に見える提灯の列や、屋台の明かりに興奮していた。
ガキはうるさいのが仕事だ。
金魚二匹は、楽しそうだったよ?
仲は、羨むくらい良かったしな。
それを、酒を飲みながら見ている、あのオヤジの間抜けたニヤケ顔も、
まぁ、楽しそうというか、嬉しそうだったな。
幸せそうな、笑顔だ。
目に入れても痛くないって、ああいうのを言うんじゃないのか?
俺には子供はいないし、知らないけどな。
あの親子と過ごすのは、嫌いじゃなかったよ。
少々うるさいのは面倒だったが、何より雰囲気が楽しいだろ。
子供は好きだし、幼子の笑い声は、特にいい。
兄の方は、よく遊びに来ていたし、独身男には、刺激の強い環境だ。
え? それは誤解だ。
そういう刺激じゃないって。
俺がペドファイルだからってわけじゃなくて、あるだろ?
家族、ってやつだよ。
分からない? だろうな。
はっきり言って、あの兄弟に触手は動いていたけど、
あんな子煩悩なオヤジの庇護下にあるガキどもなら、
手は出せないな、と思うだろ?
だって、あの男、兄の方を自分の腹で生んだイカレ野郎だぜ?
大体が、あの男は常識に欠ける人物だしな。
弟の方だって、あれは実質、誘拐してきたんだ。
言葉は悪いけど、それが事実だ。
弟だけは、本当の息子じゃない。
あれは救助だと、あの男は言うけどな。
まぁ……。
俺は結局、あとから弟の方には、手をつけちゃったわけだがね。
バラしちゃったかな。
手付けの時期? それは内緒だ。
あの男にも、これは内緒だぜ。
そんなことがバレたら、俺は殺されるに決まっているだろ?
いくら俺のことを死ぬほど愛しているという男だとしても、
これだけは、きっと許しはしまいよ。
俺を殺して、自分も死ぬんじゃないかな。
それくらいは、やるだろうな。
でも、誘惑されたのは、俺の方なんだ。
あの、小悪魔にさ。
誘拐した、弟の方だ。
そうさ、あんな小さな頃から、あの弟は悪魔だったんだからな。
今なんか、もっと育って恐ろしいぜ。
なんせ俺に君臨する、俺の王様だからな。
来た頃は……そう、あの店から連れ出した時は、
散々弄ばれて、屍人形みたいだったんだがな。
ものも言わず、怯えもせず、教えられたことをこなして、
ただ死んでいるように、生きていただけだ。
おっと、これも、内緒だぜ?
そんな屈辱的なことを言うと、王様は怒るからな。
あれには感情など、生まれた時から育ってなかった。
正気になる確率はないから、あの男には、あの子は殺せと言ったんだ。
壊れたままの木偶人形じゃ、生かすのは可哀そうだと思ったからな。
でも、あのイカレタ男は、そうしなかった。
まぁ、そういう話はいいか。
夏祭りとは、ほど遠い話だからな。
過去のことは皆、本当は忘れたいんだ。
あの男においては、あれは無かったことにしたいらしい。
今じゃ、想像もできない素晴らしい結果だしな。
血は繋がってなくとも、仲のいい親子で、仲のいい兄弟だった。
兄弟は、いつも子犬みたいにじゃれついていたな。
無感情の屍人形に、感情が芽生えたとしたら、あの親子の影響だろうな。
なんせあの男の愛情は、とことん無償で、くどいからな。
教えられなくとも、愛情って意味を知るよ。
それにしてもあの兄弟は、あんなに仲が良かったのに。
兄の方が、過ちを犯すまではだけど。
まぁ、生きていると色々あるものさ。
何があったかって?
弟の方に聞いてみればいい。
でも、夏祭りを思うと、
あの男のにやけた子煩悩な顔を想い出して、
ちょっとやりきれない気分になるね。
仲睦まじい三人の姿は、もう過去のものだからな。
過去は取り戻せないが、確かにあった、大事なものって感じかな。
祭囃子の音色と、蜩の鳴く宵闇を思い出すたび、
なんともいえない気持ちに襲われる。
あのまま、あのベランダで眠っていれば良かった。
ドアを開けなかったら、と思うな。
そうしたら、
あの幸せだった頃の親子の顔を見なくて済んだんだ。
そうだろう?
俺のことを愛しているっていいながら、
きっとあの子供たちの方が大事なんだぜ、あの男は。
幸せな家族なんか、俺には無かったからな。
まぁ、ずっと昔の話で、ほとんど忘れちゃったけど。
悪いな。どうでもいい話を聞かせちゃったか?
ああ、バカラに言っといてくれよ。
今月のDCは出来ているから、キールに取りに来させてくれって。
俺の王様は、この時期、顧客の新規確保で忙しいだろう?
そういえば、その夏祭りイベントには行かないのか?
ちょうど今週からだろ? バカラにチケットを貰えばいい。
夏祭りのデートとかしておけよ。
宵からの夜が、おススメだぜ?
境内の裏手に、死角になるスペースがあるんだ。
いいよな、若いって。
他人の思い出話なんかより、
若いうちに、夏祭りの思い出は作っておいた方がいい。
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