夏まつり




あの男の、にやけた顔を思い出すのは、
こんな暑い夏祭りシーズンの夕暮れ時だな……。

あの日は、すっかり日が暮れて、俺はベランダのソファで、悠々と夕涼み中だった。
ちょうど政府の夏祭り会場の、真上のマンションに住んでいたから、
祭囃子や、蜩の声が郷愁を帯びて、何ともいいがたい粋な宵だったんだ。
良い気分で、ゆっくりひとり酒を飲んでいたら、無粋なインターホンが鳴った。

酔っ払いオヤジが、二匹の子連れで、にぎやかに五月蠅くやってきたんだ。
偶然近くまできたから、と来たもんだ。確信犯のくせにな。
気分を台無しにされて、うんざりしたのも覚えてる。
もちろん、入れてやったさ。
ドアを開けないと何をするか、わかった男じゃないからな。

幼い兄弟の、弟の方は、金魚の柄の新品の浴衣を着て、
結んだ帯をヒラヒラさせて、本当に金魚みたいだった。
兄弟そろってちょろちょろ動いて、どっちも小さな金魚みたいだったけどな。
二匹はベランダを陣取って、真下に見える提灯の列や、屋台の明かりに興奮していた。
ガキはうるさいのが仕事だ。

金魚二匹は、楽しそうだったよ?
仲は、羨むくらい良かったしな。

それを、酒を飲みながら見ている、あのオヤジの間抜けたニヤケ顔も、
まぁ、楽しそうというか、嬉しそうだったな。
幸せそうな、笑顔だ。
目に入れても痛くないって、ああいうのを言うんじゃないのか?
俺には子供はいないし、知らないけどな。

あの親子と過ごすのは、嫌いじゃなかったよ。
少々うるさいのは面倒だったが、何より雰囲気が楽しいだろ。
子供は好きだし、幼子の笑い声は、特にいい。
兄の方は、よく遊びに来ていたし、独身男には、刺激の強い環境だ。

え? それは誤解だ。
そういう刺激じゃないって。

俺がペドファイルだからってわけじゃなくて、あるだろ?
家族、ってやつだよ。
分からない? だろうな。

はっきり言って、あの兄弟に触手は動いていたけど、
あんな子煩悩なオヤジの庇護下にあるガキどもなら、
手は出せないな、と思うだろ?
だって、あの男、兄の方を自分の腹で生んだイカレ野郎だぜ?
大体が、あの男は常識に欠ける人物だしな。

弟の方だって、あれは実質、誘拐してきたんだ。
言葉は悪いけど、それが事実だ。
弟だけは、本当の息子じゃない。
あれは救助だと、あの男は言うけどな。

まぁ……。
俺は結局、あとから弟の方には、手をつけちゃったわけだがね。
バラしちゃったかな。
手付けの時期? それは内緒だ。
あの男にも、これは内緒だぜ。
そんなことがバレたら、俺は殺されるに決まっているだろ?

いくら俺のことを死ぬほど愛しているという男だとしても、
これだけは、きっと許しはしまいよ。
俺を殺して、自分も死ぬんじゃないかな。
それくらいは、やるだろうな。

でも、誘惑されたのは、俺の方なんだ。
あの、小悪魔にさ。
誘拐した、弟の方だ。

そうさ、あんな小さな頃から、あの弟は悪魔だったんだからな。
今なんか、もっと育って恐ろしいぜ。
なんせ俺に君臨する、俺の王様だからな。

来た頃は……そう、あの店から連れ出した時は、
散々弄ばれて、屍人形みたいだったんだがな。
ものも言わず、怯えもせず、教えられたことをこなして、
ただ死んでいるように、生きていただけだ。
おっと、これも、内緒だぜ?
そんな屈辱的なことを言うと、王様は怒るからな。

あれには感情など、生まれた時から育ってなかった。
正気になる確率はないから、あの男には、あの子は殺せと言ったんだ。
壊れたままの木偶人形じゃ、生かすのは可哀そうだと思ったからな。
でも、あのイカレタ男は、そうしなかった。

まぁ、そういう話はいいか。

夏祭りとは、ほど遠い話だからな。
過去のことは皆、本当は忘れたいんだ。
あの男においては、あれは無かったことにしたいらしい。
今じゃ、想像もできない素晴らしい結果だしな。

血は繋がってなくとも、仲のいい親子で、仲のいい兄弟だった。
兄弟は、いつも子犬みたいにじゃれついていたな。
無感情の屍人形に、感情が芽生えたとしたら、あの親子の影響だろうな。
なんせあの男の愛情は、とことん無償で、くどいからな。
教えられなくとも、愛情って意味を知るよ。

それにしてもあの兄弟は、あんなに仲が良かったのに。
兄の方が、過ちを犯すまではだけど。
まぁ、生きていると色々あるものさ。
何があったかって?
弟の方に聞いてみればいい。

でも、夏祭りを思うと、
あの男のにやけた子煩悩な顔を想い出して、
ちょっとやりきれない気分になるね。
仲睦まじい三人の姿は、もう過去のものだからな。
過去は取り戻せないが、確かにあった、大事なものって感じかな。

祭囃子の音色と、蜩の鳴く宵闇を思い出すたび、
なんともいえない気持ちに襲われる。
あのまま、あのベランダで眠っていれば良かった。
ドアを開けなかったら、と思うな。

そうしたら、
あの幸せだった頃の親子の顔を見なくて済んだんだ。
そうだろう?

俺のことを愛しているっていいながら、
きっとあの子供たちの方が大事なんだぜ、あの男は。
幸せな家族なんか、俺には無かったからな。
まぁ、ずっと昔の話で、ほとんど忘れちゃったけど。
悪いな。どうでもいい話を聞かせちゃったか?


ああ、バカラに言っといてくれよ。
今月のDCは出来ているから、キールに取りに来させてくれって。
俺の王様は、この時期、顧客の新規確保で忙しいだろう?

そういえば、その夏祭りイベントには行かないのか?
ちょうど今週からだろ? バカラにチケットを貰えばいい。
夏祭りのデートとかしておけよ。
宵からの夜が、おススメだぜ?
境内の裏手に、死角になるスペースがあるんだ。
いいよな、若いって。

他人の思い出話なんかより、
若いうちに、夏祭りの思い出は作っておいた方がいい。