Hurt 恋の痛手
登場人物: 鏡 夜/レイジ
場所:ピアノ・マン
鏡 夜「レイジさん? 帰っていらしたんですか」
レイジ「―――――居たのか、鏡夜……」
鏡 夜「はい。私が居ては、不都合でしたか?」
レイジ「そんなこと言ってない。出かけていると思っていたから驚いただけだ」
鏡 夜「私が出かけていると思って、帰ってきたんでしょう?」
レイジ「浮気してこっそり帰ってきた亭主の帰還を責める、妻のような口ぶりだな」
鏡 夜「云い得て妙ですね。貴方と話すのは久しぶりのような気がします、レイジさん」
レイジ「まさか、気のせいだ。昨日もスタッフミーティングで会ったし、話したじゃないか。
もしかして忘れたのか? 覚えてない? 若年性は流行っているらしいぜ。
早めに医者に見て貰った方が良いぞ、キョウ」
鏡 夜「二人で、という意味ですよ。スタッフ会議には、貴方は出席していただけです」
レイジ「そうか? じゃ、忙しくて個人的なことを話してないだけだろ。ほんの四ヶ月くらい」
鏡 夜「彼方は、私を避けていませんか?」
レイジ「避けてなんかいないけど?」
鏡 夜「そうでしょうか。私から話がありますと言えば、仕事以外の話は明日にしてくれと言われて、
かれこれその四ヶ月が過ぎたように思いますけど、それも私の気のせいでしょうか」
レイジ「分かっているならいちいち聴くなよ。感じ悪いな」
鏡 夜「何故、避けているのか訊いても?」
レイジ「おまえは何でも御見通しなんだろ。だったら、分かるんじゃないのか」
鏡 夜「今回に限っては残念ですが、分かりません。教えて頂けませんか」
レイジ「どうしてもおれに言わせる腹積もりなんだな、おまえは」
鏡 夜「私から水を向けたほうが、レイジさんが話しやすいんじゃないかと思っただけですよ」
レイジ「そりゃ細かいお気遣いを頂いてどうも。
でも、おれがおまえに何を話すことがあると言うんだ?」
鏡 夜「無いですか? 貴方から話したほうが、整理もできやすいと思いますけど」
レイジ「おれは整理はできてる。いつでもきれい好きで整理整頓のひとだからな。散らかるのは嫌いだ」
鏡 夜「そうですか? では、どうぞ?」
レイジ「・・・・・ああ」
鏡 夜「どうしたんですか? 整理できてるんでしょう?」
レイジ「うるさい。指図するな。話すことは・・・特に今は、ない」
鏡 夜「無いんですか? 本当に? そうですか。……では、わかりました」
レイジ「ああ、そうだ。キョウ、シンちゃんとは、会ったか?」
鏡 夜「会いましたよ」
レイジ「どうだった?」
鏡 夜「お元気そうでした」
レイジ「いや、そうじゃなくてな」
鏡 夜「作品展がこちらの近くであるそうで、暫く滞在されるのは御存じですよね?」
レイジ「うん、まぁ、それは知ってるよ」
鏡 夜「そうですか。私は知らなかったので、こちらへ来られた時は驚きました」
レイジ「シンちゃんは、ピアノマンに来てるのか?」
鏡 夜「ええ。去年の年末からよく来られてますよ。足しげく通って下さっています。
忙しい振りの貴方にいつも会えなくてもね」
レイジ「振りってなんだよ。忙しいんだよ。そうか……。でもその報告は聴いてなかったな」
鏡 夜「貴方に会いに来られたわけではないですから。伸二さんは」
レイジ「おまえに会いに来てる?」
鏡 夜「ええ。私を口説くためにせっせと来られています」
レイジ「!」
鏡 夜「どうしたんですか? それが聴きたかったんでしょう?」
レイジ「シンちゃんと、寝たか?」
鏡 夜「云う必要が、ありますか」
レイジ「ない。言う必要は、ない。おまえの好きにすればいい」
鏡 夜「何故ですか? 私は貴方に云う必要はあるでしょう?
貴方にはそれを聴く権利があるし、好きにしろは、おかしいでしょう」
レイジ「じゃ、どう対処してるのか、話せ」
鏡 夜「私はレイジさんの恋人ですからと伸二さんにはお断りしました」
レイジ「はっきりと?」
鏡 夜「ええ。そうでしょう? 違いますか?」
レイジ「違わない。でも、別に浮気くらいはいいんじゃないのか?
おれだって、結局……その、やってるんだからな。つまり、なんていうか、解ってるよな?
おまえにはすでにバレてるんだよな、もう……。凄く……怒ってるか?」
鏡 夜「勿論、解っていますよ。でも怒ってはいません。貴方は結局、クリスマスに戻らなかった。
愛人と別れると、私に偉そうに言って出て行ったのに、ミイラ取りがミイラになったから、
バツが悪くてずっと云いだせなかったんですよね? 貴方はおかしなとこで体裁を気にする。
貴方がやめられない浮気を続行したいなら、勝手になさればいい。構いませんよ。
でも私は浮気はしません。そういう考え方ではないんです」
レイジ「そうか……おまえもひとりだけ主義なんだな」
鏡 夜「レイジさん」
レイジ「うん」
鏡 夜「貴方が迷っているなら、私は以前に申し上げた考えを、変えることにしました」
レイジ「変えるって?」
鏡 夜「はい。もしも貴方を失うことになるなら、つまり私が恋人と言う名ではなくなるのであれば、
私は貴方の元を、去ろうと思います。そうなれば一緒にいることは、できません」
レイジ「! おまえ……」
鏡 夜「そう、私が云ったらどうしますか?」
レイジ「お、脅かすなよ……」
鏡 夜「本気ですと申し上げたら? 貴方はどうしますか」
レイジ「おれは、おまえを失うわけにはいかないんだ……解ってるだろう」
鏡 夜「そうです。解っています」
レイジ「解ってる? 分かっていてそう云うのか?」
鏡 夜「ええ……。そこまで私が追いつめられているとしたら?」
レイジ「だったら―――おれは、あいつと別れることになるな」
鏡 夜「本当に? 別れるのですか? 浮気もしないで?」
レイジ「そうだ。それくらいの痛手は負わなきゃならん。
おまえがいなくなれば、どの仕事も立ち行かなくなるのは明白だ。おれは困り果てる。
けど、小僧が居なくなっても、おれが少し残念に思って、あとは忘れ去ればいいだけだ。
浮気をやめて、あいつと決別する選択になる」
鏡 夜「あなたにとって、マックさんはその程度のひとだったと言うことですね。
その選択肢しかないのであれば、貴方は私を取り、マックさんを捨てるのですね」
レイジ「そういうことに、なるんだろうな……」
鏡 夜「ではもし、私が恋人と言う立場を持続できたとして、次に要望を出した場合、
貴方はどうするでしょうか?」
レイジ「何だと? 何をまだ要求する気なんだ」
鏡 夜「私とピアノマンと、どっちを取りますかと尋ねたら?
私と一緒に裏の仕事を続けて行くなら、ピアノマンを捨てて下さいと云ったらどうしますか」
レイジ「バカな質問をするなよ。そんなことをおまえが言うわけない」
鏡 夜「いいえ。大事な質問ですよ。選んで下さい。どちらかを選ぶことしかできません。
次から次へと、望むものを欲しがるかもしれませんよ。私は野心家ですからね」
レイジ「ピアノマンを手放すことなんかできるか。この店は、無ければ困るんだ」
鏡 夜「つまり、返答は私を捨てるということですね」
レイジ「どうしてもその二択なら、そういうことになるだろうな。
それでも苦渋の選択だ。ピアノマンじゃなければ、他の答えも出せるがな」
鏡 夜「分かりました。貴方にとって、私もその程度のひとだということです」
レイジ「おまえが無茶なものを選ばせるからだろう!」
鏡 夜「そうですね。貴方は裏の仕事のために執着していたマックさんを捨て、
ピアノマンのために、役に立つ私を捨てるということですよね」
レイジ「そういう質問をするからだ。仕方ないだろ」
鏡 夜「分かりました。それを聴いて、ちょっと安心しました」
レイジ「なに?」
鏡 夜「貴方にとって、マックさんが唯一何者にも代えがたいものではない、ということにです」
レイジ「は。だったらおまえの立場もそういうことになるんだぜ?」
鏡 夜「私がそうではないことは初めから解っていますので、それは驚くことではありませんよ。
唯一無二の大事なものは昔と変らずピアノマンで、絶対に手放す気はないということです。
貴方はそこだけは変わってはいない。私にとっては大事なことです。
そうであれば私は安心して、一緒に貴方と今後も仕事を続けられますからね」
レイジ「どういうことだ」
鏡 夜「一時の恋愛の気迷い感情などで、大事なものを見失なうような、
そんな愚かな人間になってしまったわけではない、ということです。貴方が。
以前もこんなことはお聴きしたかもしれませんが、今の貴方は不安定すぎる」
レイジ「バカにしてるのか? いくらなんでも態度が過ぎるぜ、鏡夜」
鏡 夜「いいえ。はっきり、言わせて貰いますよ。
最近の貴方の浮かれっぷりを見ていたら不安にもなります。
ほとんど帰ってこずに妾宅通いでは、スタッフにも影響がでます。
私だって何らかのリスクは冒しているんです。慎重さが欠けては危険になります。
あなたを愛していますけど、腑抜けになった貴方と裏の仕事で心中なんて、嫌ですからね。
いっそ腐抜けてしまっているのなら、私に全てを譲って引退して下さい、レイジさん」
レイジ「随分と云うじゃないか、鏡夜。試したと言うのか、おれを?
おれが小僧ごときで腑抜けになってないか。……恋愛の気迷いだと?
浮かれてて悪かったな。いや、そもそも浮かれてなんかいないぞ。無礼も甚だしい。
全然、おれは浮かれてない。浮かれる理由もない。冷静だし落ち着いている。
ほとんど帰ってこないなんてのは、おまえの主観だ。おれはいつも通りだ」
鏡 夜「では、どうして私を避けていたんですか。何か私に後ろめたいことがあるからでしょう。
私に話すことが、何かあるんじゃないですか? 隠さないで言って下さい。
浮気を続けていることだけじゃないのでしょう? それくらいなら貴方はいつも開き直る」
レイジ「話すことは……だな、その……、なんと言うか、つまりだな」
鏡 夜「なんでしょうか? この機会にお聴きしますよ」
レイジ「おれは……。いや、もういい。何もない。いいんだ、別に言うことはない」
鏡 夜「無いんですか? 本当に? では、もう聴きませんよ?」
レイジ「無い。しつこいぞ」
鏡 夜「そうですか。それは良かった。
マックさんだけと付き合いたいと浮かれたことを云いだしたら、どうしようかと思ってました」
レイジ「そんなことは、言わない……。おれの恋人は、おまえだ」
鏡 夜「恋人……ですか。今さら記号みたいなものですよね、貴方にとって恋人なんて。
嬉しかったのは事実ですが、私は貴方の恋人をやめても良いですよ? やめましょうか?」
レイジ「いいや、やめる必要はない。おまえがおれを嫌でないならな」
鏡 夜「嫌であるはずがありません。では、やめないのであれば、浮気はしても構いませんよ?
今度は、浮気を許します」
レイジ「許します、か。何だか無性に腹が立ってきたな……。恋人ってそんなものだったかな。
何だかおまえを恋人と呼ぶのが、もの凄く嫌な気分になってきたぞ」
鏡 夜「では、別れますか。嫌になったなら恋人ごっこは終わりですね。
今日を以って恋人を外す、そうひとこと私に言って下されば良いんですよ」
レイジ「任務や役職みたいに言うなよ。そんなつもりでおまえを恋人にしたんじゃない。
おまえはおれの恋人をやめても、おれとの仕事を続けてくれるのか?」
鏡 夜「勿論です。恋人であろうがなかろうが、私は貴方の傍に居られることだけで満足です」
レイジ「おまえとは、今後一切、体の関係は持たないとおれが言ってもか?」
鏡 夜「セックスのことですか? 体の関係を、私とはもう断ち切るということですか?」
レイジ「そうだ。セックスはしないと云ったらどうする」
鏡 夜「それは、恋人で無くなった私とはもう浮気さえしない、と言う意味なんですか?
貴方はもう、マックさんただ一人だけとしか関係を持ちたくないと云うことですか」
レイジ「違う、そんなことは言ってないし、おまえと別れてあいつと付き合うとも別に言ってない」
鏡 夜「そうなんですか? あの人と付き合わないんですか?」
レイジ「付き合わないとも、言ってないけどな……」
鏡 夜「どっちなんです」
レイジ「キョウ」
鏡 夜「何でしょうか」
レイジ「判ったよ。わかった。まったくおまえは……。はぁ、本当に参った。降参だ。
おれの性格を緻密に精密にマニアックによく理解してるよ、おまえは」
鏡 夜「勿論です。私は貴方よりもレイジさんなのかも知れないと思っています。
ずっと長い間、ピアノマンのオーナー、要レイジのことを息もできないような距離で
私は出会った日からずっと貴方だけを見て、感じて、寄り添って生きてきました。
貴方のことは、自分のこと以上に解るつもりです。
これからもずっと、赦されるなら私はその位置に存在していたいと願っています」
レイジ「判ってるよ。じゃあ、おれへの異常な執着が薄れるまで、そうしていてくれ。
そばを離れるな。これからも頼むよ。近すぎて人工呼吸まではしてくれなくていいけどな」
鏡 夜「では恋人の名称は、とりあえず捨て置きましょうか」
レイジ「いいや、続行だ。恋人は、おまえだ。そのままでいい。さっき、そう言った」
鏡 夜「! どうして……」
レイジ「おっと、やっとおまえが驚く番が来たのか? いい気味だ。
云っとくが悪魔の都合良い筋書き通りに進むと思ったら、大間違いだぜ。
おまえの脚本なんかに誰が乗せられるもんか。レイジさまを甘くみるなよ?」
鏡 夜「何のことでしょう。では、マックさんは、どうするおつもりですか」
レイジ「浮気相手のままだろ。キャラに合わないがこれからも永遠に愛人だ。しょうがない。
今後もそれで、我慢して貰うさ。おれが欲しいなら我慢するだろ、たぶん」
鏡 夜「ひとこと言えば済むことですよ。貴方がひとこと、私に――――」
レイジ「いやだ。おまえに頭なんか絶対、下げないからな」
鏡 夜「私に謝るのがそんなにイヤですか?」
レイジ「イヤだね」
鏡 夜「困ったひとですね……。そんなにも強情だとはね」
レイジ「予想通りなんだろ? おれのことは御見通しなんじゃないのかよ」
鏡 夜「いいえ、頑固さは予想以上です。貴方は昔と比べれば、感情面などは変わった筈だ。
なのに、ここまでそんな意地を張るなんて、思いませんでした。
少しは素直な感情を出すようになったのですよね、貴方は? 到底素直だとは思えませんね」
レイジ「失敬だな。おれは昔から正直で素直な男だよ」
鏡 夜「マックさんは気の毒に、これからも私という存在を気にしながら、貴方の愛人として付き合うことになる」
レイジ「だから何だ。どっちにせよ、おまえがおれの傍に兎に角居る限り、あいつはそれを気にするんだ。
オンリーワンだとか、そんなどうでもいいことに、しつこく拘るタイプなんだよ、ボウヤは」
鏡 夜「一般的に見れば、誰でもそれは拘るポイントだと思いますけどね」
レイジ「おれにとっては、どうでもいいんだ。そんなものは関係ない。
どうせ小心者の小僧のことだから、おまえと何もしていなくたって、体の関係は疑うことになる。
いくら違うと言って聞かせても、本心では信用しないはずだ。疑心暗鬼できりがない。
だったら、立場なんか関係ない。役割の記号は何でも一緒だろ。
恋人でも愛人でも部下でも友人でも、一緒なんだよ。どんな名前がついても結局、妬いてくる。
あいつにとっては【茅野鏡夜】が、おれの傍に居ることが問題なんだからな」
鏡 夜「それで貴方が心苦しいと思わないのなら、お好きにどうぞ」
レイジ「心苦しいだって? そんなこと、ぜんぜん思わないね。
だいたいおれがあいつを何もかも優遇してやる必要なんか、ないんだからな。
そうだ、無いんだよ。どうしておれはそんなに気にしてたんだろうな? バカバカしい。
そういえばおれに鏡夜をくれると言ってたから、それを採用させて貰うことにする」
鏡 夜「――――マックさんが? 私を貴方に? あげると、そう言ったんですか」
レイジ「言ってたぞ。だから自分と付き合えってな。おれにキョウがどうしても必要なんだったら、
自分が茅野をくれてやるからって。バカが何を妙なことを云い出すんだと思ったけど。
どういう思考なん……。ちょっと待てよ……。キョウ?
キョウ……、おまえ、あいつに何か言ったか?」
鏡 夜「いいえ? 私は何も言っていませんよ。変った考えですが、素敵な対処ですね。
そうですか……。マックさんが、そうなんですか。私を、ね。
それなら、私が貴方に纏わりついても、何ら気にすることはありませんよね。
敵からの贈り物は、ありがたく受け取りますよ」
レイジ「おれはモノかよ」
鏡 夜「トロイの木馬でもなさそうですし、マックさんは意外と懐の広いひとですね。
公認であれば、私も申し訳なく思うことはありません。そうですか。安心しました。
これからも心から微笑んで、ピアノマンでマックさんにお酒を提供することができますよ」
レイジ「微笑んでトロイの木馬を贈りそうな悪魔は、おまえの方だろ。
……ったく、おまえは本当に悪趣味な悪戯が好きだよな」
鏡 夜「何のことでしょうか。意味が分かり兼ねますが」
レイジ「微笑みながらヘネシーに毒を盛って、シックスティーズの小僧を殺さないでくれよな。
ああ見えても、心はウサギちゃんなんだからな。精一杯、虚勢を張ってるんだ。
最近おまえに森で食い殺される夢を見て、めちゃめちゃ怯えてたぞ。可哀想に」
鏡 夜「まさか。食い殺すなんて。私が? そんなことをする筈がありません」
レイジ「間違ってもあいつにそんな笑顔で言うなよ? 泣いて走って帰るぞ。
それより、だ。シンちゃんはどうなるんだ。そっちの方が問題じゃないか?」
鏡 夜「伸二さんは、関係ありません」
レイジ「どうして? あるだろ。大ありだ。
あいつはおまえのことが好きなのに、このままじゃ一生、おまえの恋人になれない」
鏡 夜「それは、貴方のせいでしょう? きっかけを差し上げたのに、私を恋人のまま据え置くからです」
レイジ「おれのせい? じゃ、恋人を解除したら、おまえはシンちゃんの恋人になるのか?
シンちゃんの力になれるなら、おれは恋人の名前を返上する?」
鏡 夜「いいえ。私の想い人は昔も今もレイジさんだけですから、
そうなっても、伸二さんとはつきあいません」
レイジ「なんだよ。じゃ、おれが何を決断しても、状況は変わらないじゃないか」
鏡 夜「変わらないことはありませんよ。針の穴ひとつでも、状況は変わります。
あなたが私に詫びて私を捨てないから、状況は何ひとつ変わらないのですよ」
レイジ「おまえは、おれに捨てられたい?」
鏡 夜「……いいえ。そんなことは。いいえ、レイジさん……私は……」
レイジ「そうされたくないのに、そうしろなんて自分で言うなよ。
おまえはホントに昔から強情で、素直じゃないねぇ……困ったヤツだよな」
鏡 夜「貴方だってそうですよ。全然素直じゃありません。呆れるくらい万年反抗期です」
レイジ「ハハハ。おまえとおれは、似た者同士だな。どっちが似たのかな。
なぁ、おれはナルシストじゃないけど、そういうおまえのことは可愛いと思うし、
おまえを心から愛してると思うよ。本気で。誰よりも信用してるし、頼りにしてる。
だから嫉妬でも悪だくみでも、本気で怒る気がしない。どんなことでも赦しちまうよな……。
多分それは、ナルセ並みのレベルだぜ? 愛以外にあるか、これが」
鏡 夜「光栄です……。私を、愛してくれていますか? 本当に?」
レイジ「もちろん愛してるよ? 本当だ。すごく愛しいと思うよ。
長年の連れ合いみたいに、親みたいに、弟みたいに、我が子みたいに、な」
鏡 夜「弟、ですか。それでは倒錯です。貴方にはそんなアブノーマルな性癖があるんですか」
レイジ「血のつながってない弟なら、それはありだろ」
鏡 夜「マックさんは……貴方に愛してると言われたことがないと、おっしゃっていました」
レイジ「はぁ? なんだ、それ。あいつ、おまえにそんなこと言ったのか? バカじゃないのか。
いったいどこでそんな恥ずかしいこと、小僧に言わせたんだよ、おまえ」
鏡 夜「さぁ、忘れました」
レイジ「本当に都合良く忘れるよな」
鏡 夜「バーテンダーですので」
レイジ「だったらそれを、おれに云ったりするなよ。言う必要はない。
そんなカウンターでの酔い事の呟きは、心の中にしまって忘れといてやればいい」
鏡 夜「貴方の答えが気になりましたので、つい……。すみません。
でも少し、気にしたでしょう? 私だけにその答えを教えて頂けませんか。
言わないのは、愛していないからですか? それとも恥ずかしいからですか?
貴方にとって、マックさんは何ですか? 彼はどんな位置なんですか」
レイジ「知るか。それに少しも、おれは気になんかしてないぜ。
その質問は、いつも直接バカから聞いてることだからな。いつも、しつこいんだよ。
そんなこと言って何の意味がある。信じないなら無駄だ。くだらない質問の相手はしない」
鏡 夜「そうですか……。本心をいえば、答えは聴きたくもあり、聴きたくもなし、です」
レイジ「じゃあ聴かなきゃいい」
鏡 夜「レイジさん、私は―――。自分で望む、自分の位置がますます不明なんです。
マックさんの存在を認めてから、私は少し、おかしいんです」
レイジ「ああ、そうかもな。小僧は、頭の中味がちょっと変わってるからな」
鏡 夜「私は貴方を好きで好きで忘れることなど不可能ですし、伸二さんは本当に良い人で、
寝られるほどには好きですけど、それはただの性衝動と、私と同じ仲間だという親密さからです。
いえ、私には不釣り合いの心の正しさと純粋さもお持ちのひとですから、
正直、体を重ねるのは申し訳なくも思います。私も時には心が弱りますから、
優しくされればつい感情的に甘えそうになります……。でも、あとで辛くなるだけです。
ですから私には、お断りをするそれ以上は、どうすることもできません」
レイジ「心の正しさと純粋さだけじゃないさ、シンちゃんだって。
きっとおまえをどうしても欲しいくらいの執念は、あるだろうと思うぜ。
シンちゃんは、しばらくこっちで生活すると言ってたからな。引っ越してくるかもな。
だから、おまえが寂しいのなら、シンちゃんと寝たって構わないんだぜ」
鏡 夜「いいえ……。今の私には、伸二さんには応えられません」
レイジ「そうか。シンちゃんの恋は、終わらないメリーゴーランドのようなものだな。
くるりくるりと、ゆっくりと、前の馬を追って同じところを廻り続ける……」
鏡 夜「私にも貴方にも、当てはまりますね。まさに私たちは同じです」
レイジ「そうだな。どうにもうまく行かねぇよな。面倒臭いことって、な」
鏡 夜「そうですね、行きませんね……」
レイジ「他人事みたいに言うなよ」
鏡 夜「レイジさんこそ」
レイジ「―――なぁ、こっちに寄れよ、キョウ。
恋人なんだから肩くらい抱いてもいいよな? 来いよ……キスさせろ」
鏡 夜「はい。私はそのままベッドに直行したって構いませんよ」
レイジ「……いつか」
鏡 夜「はい」
レイジ「いつか、とめてやるよ、おまえの中のメリーゴーランドをな。
それまでゆっくりと廻っててくれよ……疲れない程度にだ。頼むから。
その時におれの馬も、きっと素直に廻るだけのレールから降りられるような気がするよ」
鏡 夜「―――あの馬たちは、いつか、誰かにとめて欲しくて廻っているんでしょうか」
レイジ「さぁ……。その返答は、なんだか切ないな……キョウ……」
鏡 夜「メリーゴーランドだなんて、ロマンチックな例えをしたりするからですよ。
何の郷愁ですか。貴方にはせいぜい走馬灯くらいが妥当でしょう」
レイジ「なんだって? そりゃ、ダメだろ。ムードが無さすぎる。
馬は馬でも走馬灯じゃ、まるで今際の際みたいじゃないか!」
鏡 夜「同じようなものですよ。貴方がいつか逃亡するのなら、死なばもろともです。
レイジさんのメリーゴーランドのBGMは、ドナドナにすればどうですか。
悲壮感が倍増しますよ」
レイジ「あのな、おまえってさ、ときどき悪魔のドS以上の暴言を吐くよな……。
天然なのか? わざとなのか? なぁ、キョウちゃんさ―――。
ひょっとしてだけど、おまえさん、恋愛ってものに意外と疎いんじゃないのか?」
鏡 夜「貴方には、言われたくありません」
レイジ「おれが今まで、一気に気持ちが萎える必然なる理由を一度でも考えたこと、あるのかな?」
鏡 夜「貴方に限ってはありませんね。一度も」
レイジ「あ、そう……。(ー_ー)
ああ、それとな。おまえは自分は浮気をしないと言ったけど、教えてくれないかな。
シンちゃんは別にして、おまえの大事なお抱え小姓と、たまにえろホテルから出てくるのは、どういう言い訳ができるんだ?」
鏡 夜「……身に覚えがありませんが」
レイジ「フン。ばっくれても無駄だからな。解ってるんだよ、鏡夜くん? 云っとくが油断はしてないからな。
いくら殊勝にしてたって、おれは騙されないぜ。おまえが勝手におれの知らない部下を隠密で使ってるように、
こっちだってスパイは送り込んでいるんだからな。おればかり悪者にされちゃ、適わないぜ。
おまえは信用できるおれの懐刀だか、時々おれが放っておくと、気の抜けた息抜きをするよな」
鏡 夜「浮気はしていませんよ。あれは……仕事が良くできたことへの、ご褒美です」
レイジ「ほう、ご褒美ときたか。そうだろうな、おまえと寝たいヤツは、シンちゃん以外にもいっぱいいるからな。
だったら、おれにそんなに執着しないで、おまえの眼鏡に叶った新鋭で手を打てばどうだよ?
敏腕マネージャーの鏡夜さんと、憧れのオーナーさんでは、どっちの人気が今や高いんだろうな。
いっそおれを出し抜いて、天下でも狙ってくればいい。ピアノ・マンが欲しいか? それとも裏取引か?
おまえは自分で言うように、かなりの野心家だ。いつでも受けて立つぜ」
鏡 夜「まさか。愛する貴方のことは裏切りません。それに欲しいものは、いずれ貴方が引退すれば、私のものです。
けれど私はたまに貴方に無視されると、少し分別を失くすことがあります。愛ゆえに冷静さを欠くのでしょうね。
でも貴方の監督次第で、防げますよ。そうですか。密偵を潜り込ませているのですか。……知りませんでした。
当面、色ボケして何にも気が付かないマヌケな王様かと思っていましたが、とんだ勘違いだったようですね。
今後は用心致しましょう。さて、お仕置きするのは、どの子でしょう。探偵ごっごができますね。
貴重な情報を、ありがとうございます」
レイジ「おまえって、ホントに悪魔で恐くて、イヤな男だね……。
そりゃ森で穴掘って始末される夢も、少なからず見るんだろうと思うよ」
photo/真琴さま
Hurt 恋の痛手
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