恋はみんなのもの
03

登場人物:鏡夜/伸二
場所:ピアノ・マン





鏡 夜「え、伸二さん……?」

伸 二「鏡さん、お元気そうですね。ずいぶん、ご無沙汰しました。ピアノマンに来るのは、久しぶりです」
鏡 夜「びっくりしました。お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」
伸 二「実はちょっと迷ってしまった。なんだかこの店は、来るたびに懐かしいような、逆に新鮮なような気がしますね」
鏡 夜「ええ。たまに改装してはもとに戻したりして、外見は同じなのに、気まぐれな内装の佇まいですからね」
伸 二「ははは。レイジさんとそっくりな店なんですね」
鏡 夜「そうかもしれないですね。あるいは。ええ、確かに……」

伸 二「この間の工芸フェアでは、鏡さんのお顏が視れなかったから、逢いにきましたよ」
鏡 夜「だと嬉しいですけど、何かこちらに用事があったのでしょう? お仕事ですか?
    あの日はすみません。私は他に用事を頼まれてしまって、行けませんでしたから……」
伸 二「相変わらず、忙しいんですね。あなたはレイジさんの一番のパートナーだからしょうがないか」
鏡 夜「ええ。色々と、任されていますよ。あの頃とは、大違いです。それなりに役に立つ努力をしています。
    そういえば工芸フェアでは、色々と手配して頂いてありがとうございました。助かりました」
伸 二「いいんですよ。レイジさんの手助けができるなら、何も手間じゃない。恩は一生、返しきれないんだ。
    レイジさんは忘れてくれていいと言うけど、無理ですよ。それは、あなたも同じなんでしょうけどね?」
鏡 夜「伸二さん……。そうですよ。私も同じです。私は、オーナーに死ぬまで尽くすつもりです」
伸 二「死ぬまでとは、なんだか怖いですね」
鏡 夜「怖いですか? レイジさんに重いと思われているのも知っていますが、性分ですから」

伸 二「それでも、何もかも全てをレイジさんに捧ぐことはないでしょう」
鏡 夜「どういう意味ですか」
伸 二「俺の気持ちも、少しだけ隙間に入れて欲しいという、図々しいお願いですよ」
鏡 夜「いきなりですか?」
伸 二「いきなり? ずっとそうでしたけど。まさか、知っていますよね?」
鏡 夜「そういう意味じゃなくて、今、ここで言うことではないんじゃないかなと思って……」
伸 二「それじゃあ、いつ言えば相応しいですか? 鏡さんの家に招待してくれる?」

鏡 夜「……そうですね。それでもいいですよ。久しぶりだし、ゆっくり話すのもいいですね。
    店はもう閉めますから。どうせ、レイジさんは今夜も戻ってはこないでしょう」
伸 二「今夜もって? レイジさんは何日もどこかに行かれてるんですか?
    今回は、連絡した筈なんですけど。俺が今日、ここへ来ることは一週間前に……。
    そしたらこの時間に来てくれって言われたんですよ。なのに彼は、戻らない?」
鏡 夜「そう、ですか。伸二さんが今夜ここへ来ることを、彼は……レイジさんは知ってたんですね」
伸 二「鏡さん? もしかして聴いてなかったんですか?」
鏡 夜「ええ。お恥ずかしいことに。ちょっと、このところ、ミーティングが上手く行ってないんです……」
伸 二「彼のスケジュールを全て管理してるあなたらしくもないですね。どうかしたんですか?」
鏡 夜「そうですね。私は、また役立たずに戻ってしまうのかもしれないですね……」
伸 二「そんなに大げさにいうなんて、おかしいな。変ですよ、鏡さん。本当にどうしたんですか。
    言い忘れることだってあるでしょう。彼だって人間ですから」

鏡 夜「いいえ。他のことなら怪しいですが、伸二さんが来るなら絶対忘れたりしませんよ。
    この時間を指定されて、私が知らされてないということは、レイジさんの作為です。
    私は今夜、あなたの夜のお相手をしなければならないということですよ。そういう決まりです」
伸 二「……はっきり云うんですね。まだ、そういうことを?」
鏡 夜「ええ。していますよ。軽蔑しますか? あなたが望めばなんなりと、どんな淫らな接待でもします。
     あの夜みたいに、ね。私はそういうことも、得意なんです」
伸 二「軽蔑なんて。あの夜のことは、俺はずっと忘れられませんでした。刺激的だった。
     だけど、レイジさんはもうあなたを私にあてがったりしませんよ。二度とね。
     あれ以来、そういうことは俺にはやめて欲しいと頼んだんです。レイジさんは了解してくれました。
     だから、それからは一切なかったはずだ。そうでしょう? だからそんなことはしなくて良いんですよ」
鏡 夜「だったら、他の意図があるのかもしれませんね」
伸 二「他の意図? 俺があなたに交際の申し込みをするチャンスでもくれるつもりだったのかな。
     折しも――今日はバレンタインデイだから」
鏡 夜「もし、そうだとしたら、このタイミングなら少し酷い話になりますけどね……。
    あのひとは、私の気持ちに応えられないから、代わりに伸二さんを呼んだことになる」

伸 二「なんだか、複雑にこじれてるみたいだな。どうも変な時にきちゃったのかなぁ……」
鏡 夜「いいえ! いえ、すみません。うっかり変なことを云いました。ごめんなさい。
    伸二さんは、ついつい私が気を許してしまう立場のひとだから……つい、建前が壊れてしまう」
伸 二「それが本当なら嬉しいな。差し出がましいけど、よかったら俺に話してくれませんか。
    言葉にすると、整理ができるというでしょう? 俺は長い付き合いだし、遠慮はいらない。
    裏も闇ルートにも全てに通じている側の人間だから、鏡さんには他の誰より話しやすいはずだ」
鏡 夜「伸二さんは変わらず、優しいんですね。そう言われたら甘えてしまいそうですよ……。
    だけど、あなたにとって最悪の形でね。あなたはそれでもいいんですか?
    私に感情的に、利用されるだけでも。こんな、日に」

伸 二「レイジさんの代わりにしたいなら、そうして下さい。最悪どころか、願ったりです。
    お相手は必要ないと言っておいて軽蔑されるべきは、俺の方ですよ、鏡さん。
    俺はずっと卑怯で狡い人間だった。裏切り者はずっとその汚名を着て、闇世界では死に値する。
    あの時、レイジさんが命をはって助けてくれなかったら、俺は今、こうして生きてはいない人間なんですよ」
鏡 夜「やめて下さい。レイジさんは、そんなことをあなたに思って欲しくはないんですから……。
    あれは、レイジさんは本当に死にたかっただけなんです。あなたを助けるつもりは勿論、本当ですけど」
伸 二「だったら、あなたもそれほどに彼に義理や恩を感じる必要はないはずだ」
鏡 夜「違います。恩じゃない。私は、私は、レイジさんを心から愛しているんです。辛いくらい、苦しいくらい愛してきた」
伸 二「知っていますよ。あなたとレイジさんは、お似合いのカップルだと思います」
鏡 夜「違います。私が恋人として愛されることは無理なんです。もう……いえ、過去も今も、未来にも私にそれは無理なんです」
伸 二「何故ですか。未来なんか、わからないでしょう」

鏡 夜「あなたは多少のことは解っていて、ここに来たのじゃないですか? 違いますか?」
伸 二「そうですね。確かに。レイジさんは詳しくは言わなかったけど、鏡に会ってやってくれと云われたことに、
    なんとなくこれはチャンスなのかもしれない思ったには違いないです。だけど、会ってみたら予想以上のことだ。
    俺のチャンスより、あなたが心配になりました」
鏡 夜「レイジさんのことが、愛しくて憎くて、怒りと悲しみと苦しみで狂いそうなのに、私は……
     あのひとの傍に、それでもずっといたいんです……。最悪なことには、レイジさんも私を手放したくないんですよ」
伸 二「そうだと思いますよ。あなたは彼が思う先をいち早く想定して、何事も完璧にこなしてしまう貴重で頼もしい存在だ」
鏡 夜「仕事やこの店で、私を必要だと思ってくれている。それを嬉しいと何より感じる……。それだけで良かった。
     私は最初、あの人の信頼が何よりも欲しかった。だけど、それが叶うと他のものも欲しくなったんです」
伸 二「それは誰でも当然の望みともいえるでしょう? 鏡さんは、レイジさんと親密な関係にもあったんだから」
鏡 夜「ただ、優しいから彼はそうしただけなんですよ。私があのひとを好きだと知っていたから、そうしただけ。
     そしてそれ以上を欲張った結果が、これなんです。伸二さんは、マックさんに会いましたか?」

伸 二「ええ? マックさん? 工芸フェアで会いましたよ。なんとなく、違和感はあったんですけど。
    あなたじゃない人を連れてきたから。彼はシックスティーズのベーシストなんでしょう?
    でもまさか……それが、原因なんですか? 嘘でしょう? ちょっと、信じがたい……なんていうか」
鏡 夜「そうですよ。ナルセさんと同じ、シックスティーズの人間です。私には最初から嫌な予感がありました。
    でも本当に偶然もあったと思います。だけど、偶然を必然にしたのは、マックさんの力量ですよ。
    私は、勝てなかった」
伸 二「解らないけど、今までレイジさんのお相手にしては、かなり異質な人種だなと、俺は思っただけです。
    でも、レイジさんはあの時、彼のことを恋人だとは紹介しなかったですよ」
鏡 夜「ええ、その時は、私がまだその呼称を手にしていましたからね。彼は浮気相手、というとこでしょう。
    でも、事態は変りました。もう、変ったのだと思います。だからレイジさんはバツが悪いんですよ。
    単純なことなんです。でも私にそのことが言えないくらい、真剣に困っているのも知っています」

伸 二「あなたなら、奪い返すことは簡単でしょう? 失礼だけど、彼の気まぐれは今に始まったことじゃない。
    そこまで思いつめることなんか、ない筈だと俺は思いますけどね」
鏡 夜「でも私は、後押しをしました。恋敵に味方してしまったんです。レイジさんを略奪する権利を、譲りました」
伸 二「どうしてですか? いえ、それはあなたが本当に、レイジさんを愛してるからですね?」
鏡 夜「レイジさんは簡単に心を押し殺すスキルも持っていますが、今回はそうするべきじゃないと私は判断しました。
     これを逃すと、もう取り返しがつかなくなると、私の危機管理の本能がそうさせたんです」
伸 二「……そうですか。では、鏡さんも今までとは違うように、生きればどうですか? 新しいもの、ですよ。
    ものの姿と形は、新しく生まれるとき、同じものはいっさいない。似ていても何ひとつ、同じじゃないんです」
鏡 夜「新しいもの? 私はどうしたら、いいのでしょうか……?
    あのひとの前で制御が効かなくなって、つい本音を喋ってしまうことが何より恐ろしい……。
    積み重ねてきた絶対的な信頼を失うことは……胸が張り裂けそうに苦しいし、失うなら死んでしまいたい」

伸 二「そんなことをいえば、必ずレイジさんはあなたのところへ戻ってきますよ」
鏡 夜「そうでしょうね。だったら、死んでもいえませんよね……。分かっているんです。解っているから持て余すんです」
伸 二「あなたは、彼に信頼されている唯一の人物です。だから、どんなことになっても大丈夫だ。俺が保障します。
    今夜は、俺が一緒にいますよ、鏡さん。俺に感情をぶつけてくれていい。乱れて、ワガママを云ってくれてもいい。
    レイジさんの命令で感情のないあなたの体を差し出されるより、彼への想いをぶつけられる方が、ずっといい。
    名前を間違えたっていい。レイジさんだと、思ってくれていい。それなら喜んであなたを抱けますよ、俺は。
    バレンタインに、あなたと過ごせるなんて、奇跡の贈り物です」
鏡 夜「……伸二さん」

伸 二「俺は、あなたにずっと、恋焦がれているんです。あなたの恋が苦しいなら、俺にも分けてくれませんか。
    俺に、あなたを束の間でも奪うことのできるチャンスをくれませんか、今夜――――」







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