What a wonderful world


☆12月20日 7:00PM

咲子はつい最近まで、がっかりしていた。

いつものシックスティーズでのライブステージで、
心も体もうきうきとしている筈なのに、ちっとも楽しめなかったからだ。
原因ははっきりしていた。美紀が来ないからだった。
咲子はそう思う。

いつも横で妄想を恥ずかしげもなく語る、腐女子仲間の美紀は、
少し前から付き合いが悪く、シックスティーズに来ようとしない。
もともとこのライブハウスに咲子を誘ったのは、美紀なのだ。
引きずり込んでおいて逃げるなんて、そんなのズルイ。
素敵なヴォーカルと他のメンバーを恋愛関係に見立てて、
二人は空想を楽しんでいたのだ。
それを業界用語で腐女子というらしい。(なんの業界なんだか)
咲子の妄想癖がうつってからは、咲子も負けず劣らず
ステージの男たちのありもしないドラマを、脳裏に描き続けてきたのだ。
それを語り合う相手が横にいないなんて、つまらない。
裏切り行為だと咲子は思う。
やがてそれは、ライブステージをひとりで見ることへの、
退屈さに繋がっていかないかと、小さくため息をつく。

いつもと同じくハウスバンドのセブンレイジィ・ロードの演奏は、
とても良いし、ドラムのリンはカッコいいし、
ナルセの歌は最高にセクシーだし、言うことはない。

ただし。
豪ちゃんがいないことを、除いては。
ステージは完璧なのに。
美紀が来なくなった理由はそこにあった。
豪がいなくなって、かれこれ二年にはなると思う。
美紀はヴォーカルのナルセと、今は辞めてしまったギターの豪が、
いい仲であるという妄想ドラマを支えにシックスティーズへ通っていたので、
片方が突然かけるなど、ありえないことなのだ。
美紀の描いた台本は、豪がいなければ台無しなのだ。

じゃあナルセの相手を新しく探せばいいじゃないと、
何度も咲子は提言してきたが、頑なに美紀はナルセの相手は
豪でなければならないと、言い張るのだ。

他にもナルセの相手になりそうなメンバーはいるのに。
咲子には理解できない。

セブンレイジィの正メンバーは、6人。ヘルプが2人。
リーダーのメインボーカル・ナルセ(クールビューティで咲子と美紀のお気に入り)
リードボーカルのジュウリ(女なので素無視)
ギターのアキラ(若くて美形)
ドラムのリン(咲子のお気に入り 爽やかナイスガイ)
サックスのヘミ(女だけどセクシーハンサムなので咲子は好感を持っている)
ベースのナオト(可も不可もなく普通)
キーボードのハル(最近入ったニューフェイス 顔は良い)
ただしベースはヘルプで二交代制。
一週間で5日間はナオト、2日間は誰か決まっていないヘルプが入る。

時々、カッコイイベースが来ることがあって、その時は個人的に盛り上がる。
リードボーカルもたまに女性がゲストヴォーカルとして入ることもあったが、
女性の存在はあまり美紀たちには、関係がなかった。
男と男をくっつけて妄想のドラマを描いてこそ成立する趣味というか、
遊びというか、ゲームのようなものなのだ。

豪ちゃん亡きあと(死んでないけれど)
ナルセを誰かとくっつけなければ、美紀は行く道を失うほどになっていたのだ。
勿論、セブンレイジィの歌や演奏はそんなことは関係がないほど
すばらしいのだが、それはそれ。
これはその問題とはまったく別の世界の贅沢な悩み、なのだ。
そう思うことで、満足感が違う、と美紀は思う。
こんな美味しい幸せな世界を教えてくれた美紀に、咲子は感謝している。

そんな美紀が豪の不在で、魂が抜けたように落ち込んでいたのだ。
放っておけるわけが無かった。
美紀は最初、ギターのアキラとナルセをくっつけてご機嫌なように見えた。
アキラは豪の後任ギタリストで、サラサラの茶髪でいちばん若く
少し不良めいた子供っぽさがあり「年下攻め」としては、十分なキャラに思えた。
美形なのは勿論のこと、アキラ相手で収まっていたずだ。
アキラがメンバーに入ってから、女の客も随分増えたように思う。
豪ちゃんは、どちらかというとマニアックというか、
音楽好きな男性に受ける硬派タイプだったのだ。

なのに。美紀は結局、それはまったくの空元気のようだった。
やっぱりナルセがアキラなど、相手にするわけがないと言うのだ。
もっとも本当のナルセが、男を選ぶはずなど無いのだから、
そんなことはどうだっていいじゃないと咲子は思うのだが、
美紀には美紀の妄想のこだわりとドラマがあるようだった。
分からなくともない。そのこだわりこそが、醍醐味なのだから。

じゃあ、と咲子は自分の手持ちを出してみた。
お気に入りのドラムのリンだ。
咲子のベストカップルは、ナルセとリンだ。
リンとナルセに決まっている。
リンは、快活で陽気な皆から愛されるムードメーカーなドラマーだし、
背もナルセより高いし、細身だし、美形だし、カッコイイし、
いつもナルセのことを、後ろから見守っているし、
演奏前やジュウリのMCの間、ナルセに手招きし、耳打ちしてニヤニヤしては、
頭を小突かれたりしているので、もう最高に良いカップルだと咲子は思う。
しかも、あまりにナルセと仲が良いので、普通にアヤシイと噂されることも度々あった。

それに、一週間前の出来事は、決定的だった。
楽屋の入り口で、二人のある行動を目撃して以来、
咲子はもう、本当にリンとナルセはヤバイのではないか!と疑っていた。
美紀だってあのシーンを目撃したら今頃、咲子と一緒になって、
「リンXナルセ」を突っ走っていたに違いないのだ。

それは、感動的でさえあった気がする。
リンがナルセの後ろ髪を掻きあげて、ペンダントをつけてあげていたのだ。
それだけでも十分おいしいネタなのに、それにスペシャルなおまけがついた。
その時に、リンはふざけてナルセの首筋の後ろに、
 チュッ と なんとキスをしたのだ!!!
偶然目撃した咲子はびっくりして、歓喜の悲鳴をあげそうになった。
それなのに、ナルセは少しだけ眉を上げて振り返り、肩を竦めただけだった。
もちろん、リンの顎を軽く弾くのも忘れなかった。
多分、いつものリンの他愛の無い悪戯なので、ナルセはあまり
気にしなかったのかもしれないが、それが彼らの隠された日常だった、
ということもあり得るのだ。(まさか無いと思うけれど)

何しろそんな美味しすぎる出来事が最近あったものだから、
本命はもう俄然リンXナルセに決まっているのに、
美紀は頑なに初めから豪Xナルセ一筋だった。
二人のムードが他とは違うのだという。
よく見ていると不自然なほど二人は絡まないので、
だから逆の発想で二人はアヤシイと美紀は見るのだ。
普通であれば、あれは仲が悪いんだろうと思うのだが、
そうは思わないのが、腐女子の腐女子たる所以であった。

そういうのも悪くないと咲子も思うので、ありかなと思うのだが、
リンとナルセなら、数えきれないほどの逸話があるのに、
豪とナルセは本当に萌えどころが少なく、思い出せる数回しか記憶が無い。

豪とナルセの逸話で、美紀がいちばん良かったと薦めるのは、
確か豪のシックスティーズでの最後のステージで、
立ち位置を入れ替わるときに、豪が肩からナルセにぶつかった事件だった。
残念ながら、咲子は居なくてそれを見ていないのだが。
美紀が興奮ぎみに語るには、
豪ちゃんは自分からぶつかったくせに憮然としていて、
頭を下げるしぐさも、謝りもしなかった、らしい。
ナルセは、らしくもなく動揺し、びっくりしていたのに、だ。
きっと普通の感覚でいけば、誰もが仲が険悪で辞めるんだなと、
思ったはずだった。咲子も遠慮がちに少しそう思う。

でも、美紀はそう思わない。逆の発想だ。想像力とは素晴らしい。
それに豪とナルセには、二人で歌う曲が数曲あった。
そのときは二人とも本当に息があっていて、素敵なムードなので、
それだけは咲子も、萌えてしまうことが時には確かにあったのだが。

だが、所詮その程度だった。
リンとのように、直接的な凄い現場は押さえられてないのだ。
勿論といえば、もちろん。

バンドメンバーの私生活のことなど、咲子は知らないので、
その程度でカップリングを決めるしかできないのだ。
メンバーと親しく話ができないことは、つまらないかも知れないが
それでいいのだとも咲子は思っていた。
美紀と咲子は常連だったが、なるべくメンバーに近づかないようにしていた。
私生活を知ってしまえば、がっかりするかもしれないからだ。
ナルセには妻と子がいて、ものすごい子煩悩だったりするかもしれないのだ。
リンにはモデルのような素敵な女性が、恋人にいるかもしれないのだ。

そんなこと知りたくもない。
ナルセはステージで、あのセクシーなサングラス姿で
カッコよく佇みクールに歌うだけの、謎めいたヴォーカルであって欲しかった。
ステージ以外のナルセはいらない。
少なくとも、美紀と咲子にはそうだった。
常連客の中には、メンバーをよく知りたいと思い、彼らと仲良くなることを
目的とする人たちもいたが、咲子には何の情報も必要なかった。

ステージにいる彼らを見ていれば幸せだった。
どんな夢を見るのかは、観客が決める。
スターはただ、光っていればいいだけなのだ。
ファンが作った人格以外は必要ないと過激に言っても、
言い過ぎではないように思う。
ファンにはそれが、真実なのだ。夢なのだ。
素の姿など、見せたって仕方が無い。
ナルセだって、客がどう思おうが関係ないに決まっているのだ。
関わらなければ、互いの夢を共同で育てることができる。
無関心は、時に優しさだ。

その美紀は、やっと去年に豪ちゃんの次の店の情報をつかみ、
そのライブハウスへ足しげく通うようになっていた。
すっかり元気を取り戻したようで、豪に会っちゃった!と嬉しそうに美紀は話した。
美紀は実は腐女子じゃなく、本当に豪のことが好きなのかもしれないと咲子は思う。
でも、それは言わずにおいた。
それから、段々とシックスティーズには来なくなったのだ。
美紀は新しい店で、ヴォーカルと豪が、なかなかアヤシイ関係だと熱く語ってくれた。
さすが美紀だ。新しいドラマのキャスティングに余念が無い。
美紀は豪が本当に好きかもしれなかったが、
好きな男は、自分以外の女に取られたくはないものだ。
だったら男同士でくっついて欲しいと望むのも、腐女子のシャイなところなのだ。

咲子は仕方が無いので、今年の後半から月の半分は美紀に付き合って、
豪のいるライブハウスに行くことにした。
だって美紀がいないと、つまらないのだ。
美紀が隣できゃあと言えば、やっぱりどの店であっても楽しくなる。
趣味の合う人とは、そういうものなのだろう。
たとえカップリングの考え方が違っても。
ひとりでしっとり店に通うには、まだ年季が足りないとそう思う。
美紀はその代わりに、咲子とシックスティーズにも、
またこうして来てくれるようになった。

豪ちゃんの新しい店に行って思ったのだが、
豪は、美紀の言うとおり新しいバンドでの方が、ヴォーカルとの仲が良さそうだった。
シックスティーズに居る時より、穏やかに見えた。
勿論、いぶし銀で荒野なところは変わってなかったが、緊張の度合いが違って見えた。
美紀には悪いが、本当にナルセとは馬が合わなかったんだろうなと咲子は思う。
でも美紀は「去年ナルセが豪の店に、来てたのよ!」と
シックスティーズのステージに立つナルセをチラと見て、
こっそり興奮気味に語ってくれた。
ナルセと豪と、そのバンドのヴォーカリスト。確かそこのバンド・リーダーだ。
すっきりとした切れ長の目の綺麗な顔立ちだが、優しそうにも見え、
なかなかにいい感じのボーカルだった。豪とのデュエットも結構息があっていた。
三角関係を早くも提示してきた美紀は嬉しそうだった。
美紀が言うには、ナルセがそのヴォーカルと静かな火花を散らしてたという。
もうすでに素敵な妄想ドラマが始まっていたのだのから、凄い。

「でもやっぱりね!やっぱり私は 豪Xナルセよ!
 豪がいなくて 不安そうなナルセも またイイのよね」
美紀には、新たな自信と萌えができたらしい。
そうデスね、と、咲子も一緒に微笑んでおく。

だけど。
ナルセはちっとも不安そうじゃない。
だってリンがいるのだし。リンとナルセはラブラブなのだ。
やっぱり自分的には、リンとナルセに決まっていると美紀はこっそり思う。



「Only you…
  can do make all this world seem right…」



ナルセの魅力的な声が、静かな店内に切なく響く。
ステージの三曲目。美紀がリクエストした曲だ。
もうすぐクリスマス。
心踊る素敵な妄想は、際限が無い。
今年のクリスマス・イヴは、お互いの店をハシゴしなくちゃいけない。
新たな萌えが見つかるといいと、咲子は思う。
きっとこの曲を聴きながら、美紀は豪を思うナルセの妄想で萌えるつもりなのだろう。
私ならリンを思いながら歌うナルセ、だけど。
咲子はナルセの声を聴きながら、うっとりと思う。

ナルセがふいにこっちを向いた。
どっちでもいい、おまえらちゃんと聴いていろ、と
ステージでライトを浴びて、佇むナルセのブラック・サングラスが、
豪のいぶし銀並に、二人に語っている気がした。

…ハイ、スイマセン。
ナルセの歌は、至上最高、最強、デスヨ。
誰をも魅了して、ずっと気持ちを持って行かれる。

たぶん。
美紀も咲子も、ナルセが、どの誰よりもいちばん大好きなのだ。
この世界は、やっぱり最高だ。





2へ続く

photo/真琴 さま (Arabian Light)