◇ 別つ鷲 ◇
作:牧野三咲さま(好敵手) 画:やすみせりう
「お前は行け、オレは知らん」
中郷広秋のアルコールで濁った眸から伊能紀之は視線を逸らせた。
中郷がそういうであろうことは伊能には解っていた。
ホテルのバーから見下ろす都内は夕闇に包まれようとしていた。
アルゼンチンから戻り、都内のホテルで骨休めをしているところに警備局長の兵衛文作が訪ねてきた。
警備局長ときいて不機嫌になった中郷を部屋に残し、伊能は兵衛と会った。
兵衛は新たに創設するCS(コードレス・セレクション)を実践に導入できるまでの態勢造りを依頼してきた。
伊能は断った。
警察とは警視庁を辞めたときに縁を切った。
だが、兵衛は食い下がった。
引き受けるまでは部下に付き纏わせるといわれ、伊能は引き受けざるをえなくなった。
兵衛の部下とは公安警察と外事警察だ。そんなものに付き纏われてはかなわないから伊能は引き受けることにした。
CSと聞いて中郷の表情は更に険悪になった。
CS。
構想を打ち立てたのは前警備局長の五刀良正。
だが白神一樹率いる前CSは、スパイファイルを巡る謀略で生形十郎率いる傭兵組織「亡霊」に惨敗し、
その過程で中郷・伊能の旧知である焼津の暴力団――飛竜組の組長・伊造が巻き込まれ
アルゼンチンのブエノスアイレスまで連れ去られた。
伊造の女の妖子と中郷・伊能を私物化している理都子と久美が一緒だった。
生形隊の傍若無人さに肚を立てた中郷と伊能は傭兵部隊をフエゴ島まで追い詰めて皆殺しにした。
だが、本を正せば伊造を巻き込んだCSが悪い。
そのCSに自分から係わろうという伊能に中郷は肚を立てている。
「では、そうしよう」
伊能は踵を返した。
伊能とて好きで係わるわけではない。
だが、モデルケースとして設置された白神率いるCSはお粗末過ぎた。
世界中の情報機関の秘密情報員・非合法工作員名簿――スパイファイルを盗み出した生形の傭兵を追い詰め殺しはしたが、
そいつは情報を収められているはずのマイクロ・フィルムを身につけてはいなかった。
傭兵はCSに追い詰められる直前に、男女に接触している。
それだけの理由でCSは親分と妖子を拉致し、麻酔分析にかけている。
そういうのは警察の発想ではない。
伊能はバーを出た。
公安・外事の両警察と陸・海・空の三軍から選ばれて混成部隊にしてはCSはだらしがなさすぎた。
生形を追う捜査の序盤から白神は撃たれ、戦線から離脱している。
中郷と伊能がいなければ白神はデンマークに向かう列車で殺されていた。
白神には敵の発する殺気がまるで読み取れない。
その中郷・伊能も生形の亡霊部隊と公安警察を取り違え、あわやというところまで追い込まれている。
そのことに、伊能には一抹の不安がある。
公安特科隊時代、伊能は中郷に血反吐を吐くまで鍛え上げられた。
だが今、その能力に陰りが射しはじめていた。年齢からくるものだからといわれればそれまでだが、
アルコールと怠惰極まる生活が能力の衰えに拍車をかけているのは否めない。
人間、いつかは死ぬ。殺すものは殺される。
それが中郷の持論であり伊能の持論であった。
テロリストに殺されるか、アルコール付けの生活に肚を立てた肝臓がその機能を停止させての死であることは心得ていた。
だが怠惰な生活に伊能は倦んでいた。
何かをしなければならない衝動に、伊能は駆られていた。
「伊能先生」
正面から歩いてくる男に呼び止められ、伊能は歩を止めた。
「親分、女たちの様子はどうだ」
生形隊に攫われた久美・理都子・妖子は性交奴隷として払い下げられ、ジャガー・ノートのコードネームを持つ老人に買われた。
3人の性交奴隷を買いはしたが、ジャガー・ノートは鉄の扉で仕切った地下室に女を幽閉したまま心臓発作で死亡している。
本人は大往生だが、幽閉されていた女たちは餓死しかけていた。
「もう、元気も元気」
性交奴隷に落とされてから、女たちは同性愛に目覚めていた。
伊造の女であった妖子はもう、伊造のことなど見向きもしない。
「中郷先生は、この先ですかい」
この先のブロックにはバーしかない。
「ああ」
伊能は頷いた。
「伊能先生は、どこかにお出かけですかい?」
「まぁ、そんなところだ」
伊能は歩を踏み出した。
「じゃあ、あっしは中郷先生と呑みながらお待ちしてまさぁ」
女どもは同性愛に耽っているから、部屋には伊造の居場所がない。
「ああ…中郷を頼む」
そう口にし、歩いてゆく伊能の背を伊造は見送った。
ふっと、伊能の影か薄らいだような気がした。
だが伊造はその考えを払い除けた。
事件のほとぼりが醒めたら焼津に戻る。
――孤北丸が待っていやすぜ。
遠ざかる伊能の背に呟き、伊造は中郷がとぐろを巻いているバーへと向かい歩きだしていた。
◇ END ◇
photo/LOSTPIA |
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